番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221104 > エピソード: 1601568

エピソード情報

放送局 NHK総合
プログラム名 ドキュメント72時間
エピソード名 「青春のパチンコ台に会いたくて」
カテゴリ 教育教養
放送時間 2022-11-04 22:45:00 〜 2022-11-04 23:15:00
WireActionデータ更新時刻 2022-11-04 23:51:30

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=13883309]
オープニング [topic=20547267] 詳細
[ 22:45:00 - 22:46:28 ] 88秒 詳細
昔懐かしい台が集まるパチンコ店が今日の舞台。いったい何が彼らを惹きつけるのか。

青春のパチンコ台に会いたくて [corner=13883347]
9月30日(金) [topic=20547295] 詳細
[ 22:46:28 - 22:56:58 ] 630秒 詳細
東京都福生市。年季の入った店構え。1人の男性が入店。初めてきたということで、店員さんから説明を受けた。なんとパチンコ玉は使い放題。というのも、このお店はパチンコ店ではなくゲームセンター。3000円で一日中遊べる。羽根モノが好きだという男性は1980年代に人気だった台を打った。続いて40代の会社員の男性に声をかけた。一時間かけて通っているという。景品はもらえないが、当時の思いをはせながら打つのが魅力だという。店員さんは空気感を出すため、昔のスタイルでマイクパフォーマンスを入れる。ここがオープンしたのは2年前。閉店したパチンコ店に古い台を90種類ほど設置した。1990年前後の雰囲気を再現している。若い二人組のお客さんが入店した。生まれる前の台ばかりだが、気になって来たという。出玉との引き換えとして、打った台の機種名を店員が書いたレシートがもらえる。夕方、スロットマシーンを撮影している人がいた。古い台を紹介するYouTuber。20代の頃からパチンコで生計を立ててきたという。閉店時間の夜8時、1人だけお客さんが残っていた。閉店間際に当たってしまったという。お客さんは「終わりよければ全てよし」と言い、帰っていった。
10月1日(土) [topic=20547364] 詳細
[ 22:56:58 - 23:06:05 ] 547秒 詳細
撮影2日目。開店30分前、準備が始まった。店員さんが地下へ下りていった。「玉場」という、お客さんが遊戯した玉が落ちてくる場所、みんなの怨念が集まった場所だという。ここはもともとパチンコ業界に居た人が集まって共同で経営している。パチンコの文化を残したいという思いがあるという。午前10時、開店時間を迎えた。店員さんと話し込む人が居た。1年半前から通う常連さん、昔あった台が打てるこの店に衝撃を受けたという。視覚に障がいを持つ男性がいた。10年前から視力が低下した。それまではパチンコ店の店長を務めていたという。今は盲学校に通いマッサージを学んでいる。パチンコとは息抜き程度に付き合っていきたいという。3か月前、別の仕事を辞めここで働き始めた女性店員のさっちゃん。この職場の人間関係が気に入っているという。閉店まで1時間半、一組の男女が入店した。普段はそれぞれトラックの運転手、介護職に就いているが、NHK学園の高校生でもあるという。出会ったのは2年前、お互い離婚を経験するなど似た境遇だったこともあり意気投合した。程なくして、もう一度高校に通い直そうと、二人で一歩を踏み出したという。
10月2日(日) [topic=20547394] 詳細
[ 23:06:05 - 23:13:13 ] 428秒 詳細
撮影3日目。開店30分以上前から並んでいる人たちが居た。いつも並んでいるという。お昼すぎ、1人の若者が居た。父親から誘われた時だけ来るという。父親は若い頃、パチンコで借金をしており、子育てもあって、寝る間も惜しんで働く日々だったという。苦い思い出もあるパチンコだけど、今ここで息子と過ぎ去った時間を取り戻している。台をじっと見つめる男性が居た。月1~2回は来るという。当時を思い出しながら打つ。バブルがはじけつつあった頃、希望退職募集で会社を辞めて、飲食業に転身したという。それもリーマンショックでダメになり、トラック運転手として働きながら家族を養ってきた。昔に戻ってやり直したいかと聞かれると、半々くらいだと答えた。悔しい思いも思い出、ダメなところだけリセットするのはずるいとのこと。その時々を懸命に生きてきて、今がある。勝ちも負けも受け入れてまた、明日へ。
10月3日(月) [topic=20547414] 詳細
[ 23:13:13 - 23:14:45 ] 92秒 詳細
撮影4日目。1993年6月9日にこの台を打ったという男性。今の天皇陛下(当時の皇太子)が雅子さんと結婚して国民の祝日になった日。その日にこの台を打ったことを、今でもよく覚えているという。