番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20230610 > エピソード: 1239590
エピソード情報
放送局 | NHK総合大阪 |
---|---|
プログラム名 | ブラタモリ |
エピソード名 | 「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」 |
カテゴリ | 教育教養 |
放送時間 | 2023-06-10 19:30:00 〜 2023-06-10 20:15:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2023-06-10 20:56:01 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=10581138]
旅の舞台は大阪 屋上庭園からスタート
[topic=16191229]
詳細
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19:30:00
-
19:34:28
]
268秒
詳細
タモリは梅田にやってきた。今回のお題は「カオスな梅田はどう生まれた?」。大阪大学総合学術博物館教授の船越さんに案内してもらう。
タモリは梅田にやってきた。今回のお題は「カオスな梅田はどう生まれた?」。大阪大学総合学術博物館教授の船越さんに案内してもらう。
オープニング
[topic=16191230]
詳細
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19:34:28
-
19:35:27
]
59秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
#237 大阪・梅田
[corner=10581139]
梅田はもともとどんな場所だった?
[topic=16191231]
詳細
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19:35:27
-
19:43:32
]
485秒
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大阪駅から歩いて5分ほどの路地裏にやってきた。曽根崎心中の舞台になった露天神社にはハートの絵馬があった。江戸時代後期、露天神社は心中しても見つからないような町はずれの場所にあった。続いてタモリは石が御神体の歯神社へ。石は洪水が来たときに歯止めしていた役割。かつて梅田周辺は湿地帯で近くの川がたびたび氾濫を起こしていたため、人が住まない寂しい場所だった。当時は現在のカオスとはほど遠い場所だったが、明治時代に鉄道が通ったことがきっかけで劇的に変わることになる。
大阪駅から歩いて5分ほどの路地裏にやってきた。曽根崎心中の舞台になった露天神社にはハートの絵馬があった。江戸時代後期、露天神社は心中しても見つからないような町はずれの場所にあった。続いてタモリは石が御神体の歯神社へ。石は洪水が来たときに歯止めしていた役割。かつて梅田周辺は湿地帯で近くの川がたびたび氾濫を起こしていたため、人が住まない寂しい場所だった。当時は現在のカオスとはほど遠い場所だったが、明治時代に鉄道が通ったことがきっかけで劇的に変わることになる。
なぜ梅田に大阪駅が?堂島川で理由を探る
[topic=16191232]
詳細
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19:43:32
-
19:48:35
]
303秒
詳細
堂島川にやってきた。江戸時代は蔵屋敷があった場所で、大阪の物流の拠点だった。もともと大阪駅は堂島あたりに作ろうという計画があったが、神戸と京都を結ぶ線路を堂島で機関車の付替えがないように敷こうとすると街を広い範囲で壊す必要があった。そのためほとんど人が住んでおらずスムーズに列車を通すことができる梅田が選ばれたと考えられている。
堂島川にやってきた。江戸時代は蔵屋敷があった場所で、大阪の物流の拠点だった。もともと大阪駅は堂島あたりに作ろうという計画があったが、神戸と京都を結ぶ線路を堂島で機関車の付替えがないように敷こうとすると街を広い範囲で壊す必要があった。そのためほとんど人が住んでおらずスムーズに列車を通すことができる梅田が選ばれたと考えられている。
タモリもビックリ!大阪駅でカオスを体感
[topic=16191233]
詳細
[
19:48:35
-
19:54:52
]
377秒
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今の大阪駅舎の建設に携わった福山さんに大阪駅を案内してもらう。大阪駅は平坦な場所にできたはずが、構内には高低差が小刻みにあった。昭和初期から30年代にかけて大阪市内では地盤沈下が起き、ホームでは下がった部分をかさ上げした痕跡を確認することができた。
今の大阪駅舎の建設に携わった福山さんに大阪駅を案内してもらう。大阪駅は平坦な場所にできたはずが、構内には高低差が小刻みにあった。昭和初期から30年代にかけて大阪市内では地盤沈下が起き、ホームでは下がった部分をかさ上げした痕跡を確認することができた。
地盤沈下はなぜ起きた?再開発エリアで探る
[topic=16191234]
詳細
[
19:54:52
-
20:01:12
]
380秒
詳細
大阪駅近くの再開発エリアにやってきた。大阪公立大学教授の三田村さんに建設中のビルの地下を案内してもらう。水分を多く含む粘土の地層から貝の化石が確認された。縄文時代の大阪市一帯はほとんどが海だった。粘土の層は海だった時代に堆積したもので梅田粘土層と呼ばれている。梅田の地下の断面図を見ると、一番上には砂の層がありその下に梅田粘土層、その下に天満砂れき層があった。高度経済成長期に急速に発展した梅田では大量の水が必要となっていたため、地下水を含む天満砂れき層から大量の水を汲み上げた。これによって梅田粘土層の水分も抜け粘土層のかさが減ったことから地盤沈下が起こった。大阪駅では駅舎などの重みが加わることで無秩序な高低差が生まれ、硬い地盤の砂れき層まで杭を打ち込むことで建物の沈下を食い止めた。さらに地下水の取水規制をしたことで地盤沈下は昭和40年代頃には収まった。今でも建物を造る上で梅田粘土層はやっかいな存在で、工事現場では粘土にセメントを混ぜて硬くした上で鉄骨を入れて土が倒れてこないようにするなどの対策をしている。
大阪駅近くの再開発エリアにやってきた。大阪公立大学教授の三田村さんに建設中のビルの地下を案内してもらう。水分を多く含む粘土の地層から貝の化石が確認された。縄文時代の大阪市一帯はほとんどが海だった。粘土の層は海だった時代に堆積したもので梅田粘土層と呼ばれている。梅田の地下の断面図を見ると、一番上には砂の層がありその下に梅田粘土層、その下に天満砂れき層があった。高度経済成長期に急速に発展した梅田では大量の水が必要となっていたため、地下水を含む天満砂れき層から大量の水を汲み上げた。これによって梅田粘土層の水分も抜け粘土層のかさが減ったことから地盤沈下が起こった。大阪駅では駅舎などの重みが加わることで無秩序な高低差が生まれ、硬い地盤の砂れき層まで杭を打ち込むことで建物の沈下を食い止めた。さらに地下水の取水規制をしたことで地盤沈下は昭和40年代頃には収まった。今でも建物を造る上で梅田粘土層はやっかいな存在で、工事現場では粘土にセメントを混ぜて硬くした上で鉄骨を入れて土が倒れてこないようにするなどの対策をしている。
梅田の街で最もカオスな場所!?
[topic=16191235]
詳細
[
20:01:12
-
20:13:49
]
757秒
詳細
大阪駅の南東側にやってきた。大阪商業大学教授の谷内さんに梅田地下街を案内してもらう。様々な方向に複雑に道が延びており、通称梅田ダンジョンと呼ばれている。地下街には地上の道路と同じように大阪駅を背にしてV字に延びる通路があった。大阪駅は旧市街に対し北西に作られた。当時駅周辺には何もなかったため旧市街の道から斜めに道が作られた。その後様々な方向から次々と道が繋げられ梅田の道がカオスになったと考えられている。昭和30年代の梅田周辺では交通量が増え事故が多く起きていた。そこで市電を廃止して地下鉄に、また地下街を作って人の流れを地下に移した。その後地下街は地下鉄の駅や商業ビルともつながり広がっていった。今も地下街は広がり続けており、3月にできた大阪駅の改札口ともつながっていた。新しいホームも完成し大阪駅から関西国際空港や和歌山の白浜に直通で行けるようになった。顔認証の改札もできていた。
大阪駅の南東側にやってきた。大阪商業大学教授の谷内さんに梅田地下街を案内してもらう。様々な方向に複雑に道が延びており、通称梅田ダンジョンと呼ばれている。地下街には地上の道路と同じように大阪駅を背にしてV字に延びる通路があった。大阪駅は旧市街に対し北西に作られた。当時駅周辺には何もなかったため旧市街の道から斜めに道が作られた。その後様々な方向から次々と道が繋げられ梅田の道がカオスになったと考えられている。昭和30年代の梅田周辺では交通量が増え事故が多く起きていた。そこで市電を廃止して地下鉄に、また地下街を作って人の流れを地下に移した。その後地下街は地下鉄の駅や商業ビルともつながり広がっていった。今も地下街は広がり続けており、3月にできた大阪駅の改札口ともつながっていた。新しいホームも完成し大阪駅から関西国際空港や和歌山の白浜に直通で行けるようになった。顔認証の改札もできていた。