番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221103 > エピソード: 1189488

エピソード情報

放送局 NHK総合大阪
プログラム名 鉄道博物館 お宝フィルムが語る 知られざるニッポン
エピソード名
カテゴリ 一般実用
放送時間 2022-11-03 16:45:00 〜 2022-11-03 18:00:00
WireActionデータ更新時刻 2022-11-03 20:20:15

コーナー・トピック・パラグラフ


鉄道博物館 お宝フィルムが語る 知られざるニッポン [corner=10058955]
鉄道お宝フィルム おもしろ映像 [topic=15426021] 詳細
[ 16:45:00 - 16:50:56 ] 356秒 詳細
およそ90んん前の鉄道の仕事風景。路線の保守点検「保線作業」。温度をとりリズムを合わせている。作業が終わり脇へ移動。路線がきちんと列車を支えているか直接目で確認するのが保線魂。機関車を離れ自走する貨物車。ブレーキがかけられない。飛び乗って貨車を止めていた。大正10年、荷馬車を使っていたが貨物列車。等位切符は窓口販売が主流だった時代、使用済みの切符が回収されに届けられる。

(オープニング) [corner=10058954]
オープニング [topic=15426022] 詳細
[ 16:50:56 - 16:52:14 ] 78秒 詳細
オープニング映像。
オープニングトーク [topic=15426023] 詳細
[ 16:52:14 - 16:54:49 ] 155秒 詳細
鉄道博物館にお邪魔している。鉄道博物館で保存している楽しめる貴重な鉄道の記録フィルムを用意している。ご覧いただく鉄道博物館のお宝フィルムは大正10年~昭和38年。昭和39年、東海道新幹線が開業し日本の鉄道が世界と肩を並べた年。

鉄道博物館 お宝フィルムが語る 知られざるニッポン [corner=10058956]
「鉄道省五十年祝典」大正10年 [topic=15426024] 詳細
[ 16:54:49 - 17:01:12 ] 383秒 詳細
約100年前の東京駅。祝典会場へ馬の行列で向かう昭和天皇。まずは昭和天皇がお祝いの言葉をのべられた。続いて鉄道大臣。大正9年に鉄道省が鉄道省が発足した。祝典だけでなく当時の様子が映し出されている。フィルムのラストシーンは鹿児島本線「緑川橋」の鉄道架替工事。古いドイツ製の鉄橋を脇にずらし新しい国産の鉄橋を乗せて交換する。当時は全て手作業。クイズ「なぜラストが鉄橋高官だったのか?」。この鉄交換シーンは日本の鉄道の転換期を象徴している。1872年、日本で鉄道が開業。輸送量が急増したためSLが大型化、鉄橋などの設備も大型化した。合わせて設備も大型化が進んだ。さらに外国技術に頼っていたが国産化できるようになった。
スタジオトーク [topic=15426025] 詳細
[ 17:01:12 - 17:02:23 ] 71秒 詳細
スタジオではフィルムの感想を語った。SLの大型化に伴い多くのものを運搬できるようになり産業が発達できる。
「機関車物語」昭和15年製作・戦後再編集 [topic=15426026] 詳細
[ 17:02:23 - 17:09:48 ] 445秒 詳細
続いては「機関車物語」。SLに青春を捧げた男たちの記録映画。SLは2名1チームとなって動かす。機関助士を目指す若人たちの舞台となるのは投炭練習場。元機関助士に集まってもらいフィルムをみてもらい当時を語ってもらった。機関助士になるには資格試験があり石炭が溢れるのは減点対象だった。合格し機関車に乗れるようにうなってからが地獄。効率よく燃焼させないと石炭が足りなくなる。そのために必要になるのが投炭順番表。燃え方の見極めは煙突から出る煙の色で判断する。機関助士になった後も投炭訓練は続けた。
スタジオトーク [topic=15426027] 詳細
[ 17:09:48 - 17:11:12 ] 84秒 詳細
機関助士についてスタジオで語った。
「機関車物語」昭和15年製作・戦後再編集 驚き!SLカットの撮影技術 [topic=15426028] 詳細
[ 17:11:12 - 17:14:42 ] 210秒 詳細
先程のフィルムの続き。驚くべきもう1つのことがある。多彩な角度で機関車の映像を捉えている。クイズ「一体どう撮ったのか?」を専門家の解説で紐解いていく。
「青春急行列車」昭和10年 [topic=15426029] 詳細
[ 17:14:42 - 17:17:09 ] 147秒 詳細
食堂車を紹介する。メニューにはビーフステーキ、コールドステーキがある。電車の中で結婚式の準備をする。花嫁電車や新婚列車があった。皇太子ご成婚ブームだった。
「TOKYO・PEKING」昭和13年 [topic=15426030] 詳細
[ 17:17:09 - 17:23:44 ] 395秒 詳細
昭和12年、日中戦争が勃発。全編英語のナレーションがつけられた映画。東京から北京までの鉄道の記録だ。南満州鉄道が誇る特急亜細亜などが出てくる。3年後にはアメリカとの戦争が始まる。外国人向けの観光映画だ。当時、日本は欧米人向けのホテルパンフレットなどを作っていた。欧米人向けのホテルなどを建設した。外国人観光客は増えた。アメリカ人観光客が多かった。急激な円安が進んでいた。昭和8年には国際連盟を脱退。政治的に孤立を深めたが、円安で、外国人観光客が増えた。外国人観光客の消費額は1億800万円。現在なら764億円。観光は外貨獲得の花形産業だった。庶民たちの幸せな暮らしをアピールしている映画だった。日本軍は北京を占領していた。日本のイメージアップを狙った映画だ。昭和15年、アメリカは国民の危険防止を理由に、日本などへの渡航禁止を発令した。昭和16年(1941)年に太平洋戦争が開始された。
「たちあがる輸送」昭和23年 [topic=15426031] 詳細
[ 17:23:44 - 17:25:20 ] 96秒 詳細
日本は世界大戦で、多くが焦土と化した。戦争で多くの車両や駅が破壊された。鉄道網は寸断された。雨が漏る車両も使われていた。鉄道は厳しい状態に置かれていた。1947年には八高線列車転覆事故が起きた。死者184人。木製の客車は大破。
「生まれかわる客車」昭和28年 [topic=15426032] 詳細
[ 17:25:20 - 17:32:26 ] 426秒 詳細
5000両の木製車両を、鋼鉄製車両に変更した。当時は鉄不足だった。GHQは新車に反対。鋼鉄製の台枠は生かした。そこに鋼鉄の車体を乗せる。台枠を切断し、別の台枠を差し込む。溶接作業は大変だった。多くの車両不足はローカル線で使われた。集団就職列車に使われていた。貴重な車両を探しに福島県へ。日中線の熱塩駅にやってきた。鋼体化車両が見つかった。溶接箇所を見付けた。意味のある溶接の跡だ。職人の技だとヒロミさんがいう。
スタジオトーク [topic=15426033] 詳細
[ 17:32:26 - 17:33:34 ] 68秒 詳細
職人の技で、車両がよみがえった。ドイツなどでは日本よりも木製車両があとまで残っていたとのこと。この時期に鋼体化したことは世界的にみても偉業だった。
「鉄道電化」昭和25年 [topic=15426034] 詳細
[ 17:33:34 - 17:37:34 ] 240秒 詳細
1950年に制作された記録映画「鉄道電化」の映像を紹介。奥羽本線の福島~米沢間は奥羽山脈を横断しており、日本有数の険しい峠を超える路線となっている。険しい勾配を超えるためにひっきりなしに石炭を炊く上にトンネルが40近くあるため、乗客や乗員は煙に苦しんでいた。当時のSLは馬力が弱く、坂道の途中で停止するなど遅延は日常的だった。小学生の通学にも使用されていたが本数は少なく、昼に学校が終わっても夕方の貨物列車に乗って帰る有様だった。熱を含んだ煙がトンネルに入るたび充満し操業も命がけ。明治42年には汽車が坂道を登れず逆行し、脱線して死傷者が出る事故も発生した。機関士がばい煙で気絶した事も原因と言われた。
[ 17:37:34 - 17:43:50 ] 376秒 詳細
こうした状況を克服するべく、1946年から奥羽本線の電化工事が始まった。山岳地区のため、機材運搬も人力。過酷な環境下での工事は3年間に及んだ。1949年に電化が実現。馬力が改善して定刻通り走れるようになり本数も増加、煙もなくなった。山間の集落には行商人が訪れるようになり、どの家もよく利用していたという。それまでは干した魚ばかりで、生魚を食べる習慣はなかったのではないかとの事。戦中・戦後は男性が少なくなったため、女性も鉄道駅で切符切りなどをして働く姿が見られた。鉄道の電化は住民らに歓迎されていたという。赤岩駅は周辺住民がいなくなったため、昨年廃駅となり、現在は列車が通過するのみとなっている。
スタジオトーク [topic=15426035] 詳細
[ 17:43:50 - 17:44:15 ] 25秒 詳細
スタジオトーク。電化によって山間の人たちには相当な変化があったって事だよねとヒロミ。日本が狭くなって近くなりましたよねと市川。
「豪雪とのたたかい」昭和38年 [topic=15426036] 詳細
[ 17:44:15 - 17:55:58 ] 703秒 詳細
昭和38年に北海道を襲った38豪雪、平野部でも3mを超える積雪で、死者行方不明者231人などの被害をもたらした。1週間で12000本以上の鉄道が運休、豪雪とのたたかいは国鉄史上最大級の災害との戦いとなった。1月11日、日本海側で吹雪が発生、国鉄職員は除雪のために動員、ラッセル車やロータリー車も投入された。しかし除雪は苦戦を強いられたという、雪はロータリーに張り付き、除雪用の車は進まなかったという。1月23日、低気圧が日本上空を通過、これまでを上回る暴風雪となり、積雪は3mを超えた。その中、上野に向かっていた急行「越路」が途中停止、400人の乗客が缶詰状態になり、長岡駅に45時間後に到着した。当時食料の配布に向かったの牛乳屋は、400本もの牛乳瓶を雪の中、ソリで運んだのだという。市内の旅館を緊急待機所にし、列車の再開をまったという。日本海側と首都圏を結ぶ鉄道網がすべて断ち切られてしまったという。国鉄の雪害対策本部の指揮をとったのは総裁の十河信二、全国の国鉄職員を動員し、自衛隊に協力要請。数万人規模の人海戦術を採った。自衛隊は火炎放射器をもちこんだが、雪は溶けなかったという。除雪作業に参加した荒木さんも、夜通し除雪した当時の記憶は除雪していたこと以外ほとんどないという。雪の廃棄場所も問題となり、ホームに雪が山積みになった。近くの川は雪で流れが止まってしまい、列車の貨車に雪を積んで大きな川まで捨てにいった。朝から晩まで何十往復もしたのだという。前面運休から16日目、上野行きが運転再開となった。除雪に関わったのは67万人に及んだという。
スタジオトーク [topic=15426037] 詳細
[ 17:55:58 - 17:57:53 ] 115秒 詳細
出演者はいろんなものを見たけど、戦後新幹線に向かっているのがすごいなどとコメント、「なにがあっても鉄道は動かすという執念がすごい、鉄道開通150年で日本中の列車が全て止まった日は1日もない。終戦の日も鉄道は動いていた」と話した。

(エンディング) [corner=10058957]
エンディング [topic=15426038] 詳細
[ 17:57:53 - 17:58:00 ] 7秒 詳細
EDが流れた。