パラグラフテキスト |
1989年に起きた天安門事件、民主化を求める学生や市民に軍が発泡するなどし多くの死傷者が出た。事件から34年、真実を知りたいと考える人達の活動は制限されている。ニューヨークのビル街にある六四記念館の文字、閉館に追い込まれた香港の記念館に変わるものとして作られた。当時学生運動のリーダーだった男性は中国から指名手配されアメリカに亡命、この記念館を作るために奔走した。記念館の展示品はほとんどが押収され展示品は新たに募った。開館に向け、多くの中国系の人が手伝ってくれたが、親族が中国国内にいる人も多く、撮影は禁止となった。式典でリーダーだった男性は「自分たちは未だに戦っている」などと述べた。かつて事件の記念館のあった香港、その中心部の公園では香港の中国返還を祝うイベントが行われた。この公園では長年天安門事件の追悼集会が行われてきた。追悼集会を主催してきた市民団体の幹部の男性、中国政府に事件の真相究明を求め、六四開館を運営してきた。しかし2019年の抗議活動を境に、香港国家安全維持法が施行され民主化を口にする政治家などが逮捕された。その結果六四記念館は閉鎖に追い込まれた。今年6月4日、警察官などによる厳重な警戒態勢が敷かれた。男性は追悼したいとかつて追悼行事が行われていた場所に足を運ぶも、その場から離れるように言われた。かつて記念館があった場所で1人追悼する男性、現在の成約はとても理不尽なものだと語った。事件でお子さんを亡くした女性は、事件のことを伝えるためにメディアの取材を受けてきたが、今年は体調不良を理由に取材が叶わなかった。当局の監視下に置かれたのではないかとされているという。 |