パラグラフテキスト |
2013年3月、これまでの日銀の政策に異を唱えていた黒田東彦氏が総裁を任され、日銀の新たな体制がスタートした。就任翌日、黒田総裁は行員を前に「中央銀行の主たる使命が物価安定であるとすれば日本銀行はその主たる使命を果たしてこなかったことになる」「世界中で15年もデフレが続いている国は一つもありません」などと話した。当時調査統計局長を務めていた前田氏は「自分たちがやってきたことを否定されているかのような感じを持ったということは覚えています」などと振り返った。この2週間後、黒田総裁は黒田バズーカと称される金融政策を発表した。日銀は銀行から買い入れる国債の規模を年間50兆円のペースで増やし市場に供給するマネーの量を2年で2倍にすることで企業などに資金が回りやすくなると考えた。投資信託を年間1兆円のペースで買い入れ、不動産の金融商品の購入額も増やすことにした。2年で2%の物価上昇を実現するとした。この政策を副総裁として支えたのが岩田氏と中曽氏だった。岩田氏は「いつでも引き戻されるからすごい推進力がいる、ということは量的緩和、黒田バズーカ砲みたいなのがいるということにつながる」などと話した。2%物価上昇の実現のため、日銀は人々が将来物価が上がるという期待が高まると好循環が生み出されるという理論を重視した。FRB元副議長のリチャード・クラリダ氏は日銀の大規模な金融緩和を評価してきた。黒田バズーカにより日経平均株価は1万2000円台から1か月で1万5000円台に上昇。1ドル90円台だった為替も1年後には103円と円安に転じた。物価の上昇率は1年後には1.4%となった。 |