パラグラフテキスト |
樟葉を歩いていると「Art Salon ONE-L」という店を発見。この店では花、雑貨、ウェディングのことをしているそうだ。「街フォト」といい街中へウェディングドレスで行き写真を撮るそうだ。八光さんは「ここが職場なら幸せな気分になる」と話した。夫婦で営んでいるそうだ。清水さんが元々フローリストで花を生けていて、妻・倫代さんはウェディングのドレスを着せたりなどをしていたという。出会う前はそれぞれ別会社で働いており空間演出などをしていたという清水夫妻。この店は2人が1年前に開店したお花・雑貨のアトリエ兼ショップ。2人はバリ島にいてウェディングに来島する日本人の現地受けなどをしていたという。清水さんは「大工から水道屋に転職し、教育の方に目がいき教員免許のために大学入学しようと思って」と話し、八光さんは「行動力がすごい」と話した。その後、清水さんは知識を広げるため単身海外へ。その時に出会ったウェディング会社の日本人経営者にブライダルの仕事に誘われ、25歳でバリ島へ。倫代さんはその半年後くらいにドレスのトレーナーとしてバリ島へ行き現地で知り合った。清水さんは「先輩の指示で倫代さんの履歴書を預かり、明日渡す予定だったので夜に見ると家が大阪で近所だった」などと話し、八光さんは「今見たら犯罪」などとツッコんだ。倫代さんは当時は違和感なく普通に会話したと話した。清水さん「当時、会社が男女混合社宅を用意してくれており普通に一軒家で暮らした」などと話した。倫代さんが帰宅すると「私の下着を悪気なく清水さんが干していて凄く嫌だったが相手は悪気がないので何も言えなかった」などと話した。八光さんは「警察呼ばれてたら終わり」と話した。倫代さんは当時日本に彼氏がいて清水さんは倫代さんに女性の意識はなく、興味もなかったという。共同生活をしていた20年前のバリ島には危険な地域が多く、清水さんは1回強盗に入られてボコボコにされたことがあるそうだ。店を8人ほどに襲撃され、1階のレストランのフォークで刺されて後頭部を8針くらい縫ったが、警察もそのギャングには手を出せないという。テロもあったそうだ。1年ほどで倫代さんは日本へ帰国し、その後に倫代さんから荷物が会社に届き日本の食材とか手紙が入っていて共同生活をしていたころの話が書かれていた手紙を読んだ瞬間に「結婚しよう」と思ったそうだ。そしてスタッフから倫代さんは彼氏と別れたと聞き、東京の本社会議の際に大阪に寄り「結婚しよう」と言おうとしていたという。 |