番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240911 > エピソード: 1740704

エピソード情報

放送局 NHK総合
プログラム名 歴史探偵
エピソード名 海の王者 平清盛
カテゴリ 一般実用
放送時間 2024-09-11 22:00:00 〜 2024-09-11 22:45:00
WireActionデータ更新時刻 2024-09-12 09:30:07

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=15446851]
今回は... [topic=22936181] 詳細
[ 22:00:00 - 22:01:40 ] 100秒 詳細
今回、海で培った戦術で覇権を握った平清盛を調査する。
オープニング [topic=22936182] 詳細
[ 22:01:40 - 22:01:57 ] 17秒 詳細
オープニング映像。

(歴史探偵) [corner=15446857]
スタジオトーク [topic=22936188] 詳細
[ 22:01:57 - 22:03:30 ] 93秒 詳細
佐藤二朗は大河ドラマ「平清盛」で平氏を支援する藤原家成、「鎌倉殿の13人」では平家滅亡に尽力した比企氏を演じた。その平家にとって、力の源が海だったという。
海の革命児 平清盛 [topic=22936196] 詳細
[ 22:03:30 - 22:13:30 ] 600秒 詳細
厳島神社の本殿はかつて日本最大を誇り、参拝者は平家の絶大な権力を実感したとされる。そんな平家だが、過去には「最下品(貴族の中で最も位が低い)」と蔑視されていた。盗賊の取り締まりといった下働きをさせられていた上、家格で昇進にも限界があった。平家の領地では赤い鉱物、辰砂(硫化水銀)が大量に採掘され、不老不死の薬になると珍重されていた宋国への輸出を企図した。輸送路となる瀬戸内海を押さえる必要があり、沿岸部の国司を歴任した。平家は辰砂の輸出に成功し、宋国からは大量の輸入品がもたらされた。珍品を天皇、上皇に献上することで出世を図り、平清盛の頃には上級貴族の仲間入りを果たした。
[ 22:13:30 - 22:15:07 ] 97秒 詳細
三浦正幸名誉教授は長年にわたって厳島神社を研究し、寝殿造と共通する部分は多いという。貴族からすれば厳島神社は自邸よりも巨大で、おまけに海に浮かんでいると驚かされたはずだという。
スタジオトーク [topic=22936232] 詳細
[ 22:15:07 - 22:17:24 ] 137秒 詳細
平清盛は厳島神社に千人の僧侶を集め、読経させた。雅楽も演奏されたといい、佐藤二朗は「今でいうところのフェス」と表現した。平家は桓武天皇の子孫の一族で、武芸を生業にした。貴族社会においては新参者として蔑まれたこともあった。
海の革命児 平清盛 [topic=22936246] 詳細
[ 22:17:24 - 22:27:47 ] 623秒 詳細
瀬戸内海を拠点としていた海賊は輸送船を襲撃し、平家が取り締まることになる。平安京で作られ、飛距離が長い合せ弓を駆使し、海賊の討伐に成功した。関東を本拠地にしていたのが源氏で、地上戦は得意。流鏑馬もあってか、馬術にも優れていた。平治の乱において、平清盛は源氏の軍勢を六波羅へと誘い込み、橋桁をバリケードにすることで機動力を削いだ。平氏たちは櫓から合せ弓で矢の雨を降らせたという。
スタジオトーク [topic=22936311] 詳細
[ 22:27:47 - 22:31:50 ] 243秒 詳細
「平家物語」には平清盛がドクロの妖怪を睨んで退治したというエピソードが残っている。また、清盛はおもしろくなくても相手をいたわり、失態を演じたとしても声を荒げることはなかったという。河合敦氏は「だからこそ、平家の棟梁として武士たちを統率できた」と話す。
海の革命児 平清盛 [topic=22936321] 詳細
[ 22:31:50 - 22:41:17 ] 567秒 詳細
奈良時代、神戸に作られた小さな港は大輪田泊と呼ばれ、平清盛は港を拡張することで国際貿易を行おうとした。宋国の商人と取引をするなか、貨幣経済の利便性に気づいたという。持ち運べる上、腐ることはなく、貯蓄も可能。ネックなのは大輪田泊周辺が荒海であること。航海は難しく、荷物の積み下ろしさえも支障をきたす。「平家物語」によると、海を埋め立てて人工島をつくることで防波堤としたという。貨幣経済は広がりを見せ、清盛は平安京から福原京へ遷都した。
スタジオトーク [topic=22936350] 詳細
[ 22:41:17 - 22:44:45 ] 208秒 詳細
平家滅亡の一因に宋銭があるといい、お米がとれない大飢饉の最中、平家が所有していた大量の宋銭はがらくた同然になってしまったという。源平合戦が行われているのに、兵糧が得られず、壇ノ浦の戦いで滅ぶことになる。ただ、飢饉が収束すると人々は貨幣を使い続けた。河井氏は「日本の貨幣経済システムは平家が作ったといえる」と語った。