番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240506 > エピソード: 1714524
エピソード情報
放送局 | NHK総合 |
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プログラム名 | 小さな旅 |
エピソード名 | 「春 神宮さんと 〜茨城県 鹿嶋市〜」 |
カテゴリ | 教育教養 |
放送時間 | 2024-05-06 04:20:00 〜 2024-05-06 04:45:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2024-05-06 05:38:37 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=15152596]
オープニング
[topic=22476077]
詳細
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04:20:00
-
04:21:15
]
75秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
(小さな旅)
[corner=15152597]
春 神宮さんと〜茨城県 鹿嶋市〜
[topic=22476078]
詳細
[
04:21:15
-
04:34:31
]
796秒
詳細
茨城県鹿嶋市、6万5000人ほどが生活する街である。春の訪れを告げる祭頭祭でがは五穀豊穣を願う。この祭りのお囃子が向かうのは鹿島神宮、地元では「神宮さん」と呼ばれている。鹿島神宮は2700年前に武道の神様「武甕槌大神」を祀ったのが始まりとされる。また奈良時代には九州に向かう防人が無事を祈願したとも言われる。境内から湧き出る水は禊にも使われ、茶店で出すメニューにも使われる。茶店で働く久保さんは鹿島神宮のすぐ近くで育ったという。春のある日、港では波が高く漁に出ることができないという。特産のハマグリが評判だが、座礁の危険もあって波の高い日は漁に出ることができないという。漁師の小野さんは鹿嶋市で生まれ育ち、中学卒業と同時に家業の漁師になったという。とりわけ腕を磨いたハマグリ漁、しかしこの春は1度も漁に出ていない。小野さんは「船が出られないと漁に行きたくなる」と話してくれた。小野さんの自宅、この日の夕食には多くの海の幸が並んだ。一緒に夕食をとる孫の慧さんも漁師。この日の2人の会話はやはり海のことだった。
茨城県鹿嶋市、6万5000人ほどが生活する街である。春の訪れを告げる祭頭祭でがは五穀豊穣を願う。この祭りのお囃子が向かうのは鹿島神宮、地元では「神宮さん」と呼ばれている。鹿島神宮は2700年前に武道の神様「武甕槌大神」を祀ったのが始まりとされる。また奈良時代には九州に向かう防人が無事を祈願したとも言われる。境内から湧き出る水は禊にも使われ、茶店で出すメニューにも使われる。茶店で働く久保さんは鹿島神宮のすぐ近くで育ったという。春のある日、港では波が高く漁に出ることができないという。特産のハマグリが評判だが、座礁の危険もあって波の高い日は漁に出ることができないという。漁師の小野さんは鹿嶋市で生まれ育ち、中学卒業と同時に家業の漁師になったという。とりわけ腕を磨いたハマグリ漁、しかしこの春は1度も漁に出ていない。小野さんは「船が出られないと漁に行きたくなる」と話してくれた。小野さんの自宅、この日の夕食には多くの海の幸が並んだ。一緒に夕食をとる孫の慧さんも漁師。この日の2人の会話はやはり海のことだった。
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04:34:31
-
04:44:39
]
608秒
詳細
ある夜、剣術の稽古を行う道場にお邪魔する。鹿島新當流という流派の剣術で合戦を意識した実践的なもので戦国時代に始まったという。編み出したのは塚原卜伝。彼は鹿島神宮の神官の生まれで1000日の修行後に鹿島新當流の型を作ったという。内田嘉昭さんは小学生から鹿島新當流で学び、鹿島神宮で演武を披露したこともある。かつては地元を出て進学し、就職した内田さん。25歳の時に戻ってきたきっかけは鹿島新當流を知る人と出会い、話が出たことからだったという。現在そば店を営む内田さん、お店には鹿島神宮の四季折々の写真が飾られ、また足を運んでもらえるようにしているのだという。内田さんは「鹿嶋市に生まれて、鹿島新當流もあって、これがなくては生きていけない環境だったのかもしれない」と語った。4月になっても海は穏やかにならない。そんな中、慧さんは釣り船を出し、勲さんも同乗した。この日のターゲットは真鯛、しかし釣果は今ひとつ。移動しようと考えると勲さんは元の場所に戻るよう助言する。するとお客さんの竿にアタリが出始める。船を降りた勲さんと慧さんは鹿島神宮に足を運び、本格的に漁に出られることを願った。勲さんは「鹿島神宮に見守られ、漁に出ることが幸せだ」と語ってくれた。
ある夜、剣術の稽古を行う道場にお邪魔する。鹿島新當流という流派の剣術で合戦を意識した実践的なもので戦国時代に始まったという。編み出したのは塚原卜伝。彼は鹿島神宮の神官の生まれで1000日の修行後に鹿島新當流の型を作ったという。内田嘉昭さんは小学生から鹿島新當流で学び、鹿島神宮で演武を披露したこともある。かつては地元を出て進学し、就職した内田さん。25歳の時に戻ってきたきっかけは鹿島新當流を知る人と出会い、話が出たことからだったという。現在そば店を営む内田さん、お店には鹿島神宮の四季折々の写真が飾られ、また足を運んでもらえるようにしているのだという。内田さんは「鹿嶋市に生まれて、鹿島新當流もあって、これがなくては生きていけない環境だったのかもしれない」と語った。4月になっても海は穏やかにならない。そんな中、慧さんは釣り船を出し、勲さんも同乗した。この日のターゲットは真鯛、しかし釣果は今ひとつ。移動しようと考えると勲さんは元の場所に戻るよう助言する。するとお客さんの竿にアタリが出始める。船を降りた勲さんと慧さんは鹿島神宮に足を運び、本格的に漁に出られることを願った。勲さんは「鹿島神宮に見守られ、漁に出ることが幸せだ」と語ってくれた。