番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240306 > エピソード: 1701959

エピソード情報

放送局 NHK総合
プログラム名 歴史探偵
エピソード名 ブギウギコラボスペシャル
カテゴリ 一般実用
放送時間 2024-03-06 22:00:00 〜 2024-03-06 22:45:00
WireActionデータ更新時刻 2024-03-08 15:12:49

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=15013437]
今回は... [topic=22264963] 詳細
[ 22:00:00 - 22:00:25 ] 25秒 詳細
今回、朝の連続テレビ小説「ブギウギ」とコラボレーション。趣里が演じる主人公のモデルとなった笠置シズ子を深掘りする。

(歴史探偵) [corner=15013444]
スタジオトーク [topic=22264969] 詳細
[ 22:00:25 - 22:02:55 ] 150秒 詳細
連続テレビ小説「ブギウギ」から、菊地凛子、伊原六花がゲストとして登場した。今回、主人公のモデルとなった笠置シズ子が活躍した時代背景を紐解いていく。
ブギウギコラボSP [topic=22264997] 詳細
[ 22:02:55 - 22:12:47 ] 592秒 詳細
トランペット奏者のMITCH氏は連続テレビ小説「ブギウギ」で音楽指導を担当し、劇中にも登場している。笠置シズ子は歌って踊る歌手の先駆者だったといい、「ラッパと娘」は体を激しく揺らしながら歌うのが特徴だった。1923年、関東大震災により、大阪に移住する人が続出した。道頓堀にはダンスホール、劇場が立ち並び、笠置シズ子は大阪松竹座が運営する楽劇団に入部した。道頓堀ではアメリカのジャズも人気を博し、「ラッパと娘」にはジャズのスイングが取り入れられた。また、ジャズの演奏者、服部良一は松竹が復興の進む東京に新しく設立した楽曲団の副指揮者に就任。服部はこの頃、笠置シズ子と対面したといい、自伝で「その動きの派手さとスイング感は他の女の子は別格」と評している。
[ 22:12:47 - 22:15:15 ] 148秒 詳細
服部はアメリカのジャズシンガーのような地声を使った歌い方を追求し、笠置シズ子に「地声で歌うように」と勧めた。「ラッパと娘」でジャズの歌声をものにし、シズ子はスイングの女王と呼ばれた。
スタジオトーク [topic=22265085] 詳細
[ 22:15:15 - 22:19:15 ] 240秒 詳細
「ラッパと娘」について、趣里は「演者どうしが絡んで楽しめるのが特徴。曲は体の中に染みている。それをどうセッションするか、それがうまくいけばスイングしていく」などと語った。菊地凛子が「ブギウギ」で演じる茨田りつ子のモデルは歌手の淡谷のり子で、踊りながら歌うスタイルを確立した笠置シズ子について、「歌を勉強したものにとっては恐ろしささえ感じる」と話していた。
ブギウギコラボSP [topic=22265093] 詳細
[ 22:19:15 - 22:25:22 ] 367秒 詳細
1939年、第二次世界大戦が勃発し、日本では娯楽への締め付けが強まった。朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でその様子が描かれていて、ステージに引かれた四角い線のなかで歌うことを命じられた。太平洋戦争が始まると、ダンスホールや劇場が閉鎖され、ジャズは敵性音楽として扱われた。戦争で弟の八郎を喪った笠置シズ子は服部良一が作詞、作曲を手掛けた曲「大空の弟」を歌っていた。「ブギウギ」では残された楽譜、歌詞をもとにアレンジされた曲が披露されている。編曲を手掛けたのが服部隆之氏で、服部良一の孫である。譜面を読み解くと、「大空の弟」の後半はアップテンポになっているという。
[ 22:25:22 - 22:30:28 ] 306秒 詳細
1945年8月15日、終戦の日を迎える。日本はGHQの占領下に置かれたなか、娯楽文化が復活した。「東京ブギウギ」は戦後まもない日本で大ヒットを記録。ブギウギはアップテンポで弾むような曲調で、8ビートのリズムで構成されている。さらに胸の鼓動を表す言葉がリズムにマッチし、復興の途にある人々に高揚感を与えた。
スタジオトーク [topic=22265137] 詳細
[ 22:30:28 - 22:34:41 ] 253秒 詳細
運動生理学を専門とする西田裕介教授によると、「一般的に速いリズムを聴くと、交感神経が活発になって気持ちが高揚する」という。戦後間もない人々がリズムに乗り、気持ちが前向きになったのは十分考えられるという。「東京ブギウギ」を歌った笠置シズ子は「私自身の復興ソングだったのですが、戦後大衆の復興ぶしとなりました」と振り返っている。戦後、娯楽文化も復活し、解禁されたパーマをしたいと美容院の前には行列ができたという。
ブギウギコラボSP [topic=22265160] 詳細
[ 22:34:41 - 22:42:00 ] 439秒 詳細
朝鮮戦争が起きたことで、日本国内では朝鮮特需によって好景気に沸き立った。同年、「買物ブギー」がリリースされ、レコードの売上げは「東京ブギウギ」を上回った。また、笠置シズ子は服部良一とともに日本各地のご当地ブギを作ることに取り掛かった。生まれ故郷である香川・引田で凱旋公演が行われ、当時12歳だった高橋さんはスカートを履いた女性が踊る姿に驚愕しつつ、「こんな世界があるのかと夢が膨らんだ」という。1953年、テレビ放送がスタート。初日の歌謡番組に出演していたのが笠置シズ子だった。大スターであり続けたシズ子はシングルマザーとして娘を育てていた。
スタジオトーク [topic=22265184] 詳細
[ 22:42:00 - 22:44:45 ] 165秒 詳細
佐藤二朗は「歌があるから、辛さを笠置シズ子さん自身も乗り越えられた」と思ったという。笠置は1957年、43歳で歌手の引退を宣言。菊地凛子は一線を退く覚悟は並大抵ではなかったと感じ、「その潔さもまた凄い」と語った。伊原六花は笠置シズ子の曲が生まれた時代背景を知った上で聴き直すと、楽曲のパワーを感じるという。