番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221103 > エピソード: 1601414

エピソード情報

放送局 NHK総合
プログラム名 ブラタモリ
エピソード名 セレクション「札幌 〜なぜ札幌は200万都市になった?〜」
カテゴリ 教育教養
放送時間 2022-11-03 23:50:00 〜 2022-11-04 00:35:00
WireActionデータ更新時刻 2022-11-04 02:58:29

コーナー・トピック・パラグラフ


札幌 [corner=13881265]
旅のスタートは大通公園 [topic=20544087] 詳細
[ 23:50:00 - 23:53:00 ] 180秒 詳細
旅のスタートは大通公園。タモリは35年前に来たことがあると語った。テレビ塔に上がり、景色を眺めた。今回は「なぜ札幌は200万都市になった?」である。
明治時代に開拓 なぜ200万都市に? [topic=20544088] 詳細
[ 23:53:00 - 23:55:17 ] 137秒 詳細
札幌の開拓が始まる直前、明治元年の地図を見ると、豊平川のほとりに2軒の家が描かれていた。アイヌ以外の日本人は7人だったと言われている。

(オープニング) [corner=13881266]
オープニング [topic=20544089] 詳細
[ 23:55:17 - 23:56:40 ] 83秒 詳細
本日の舞台は、札幌市。何故札幌は200万都市になったのかを探る。

札幌 [corner=13881267]
なぜ200万都市に?開拓の鍵に迫る [topic=20544090] 詳細
[ 23:56:40 - 23:59:28 ] 168秒 詳細
タモリらはまずは札幌の中心部へ向かった。北海道庁旧本庁舎を訪れた。ここに開拓の拠点を置いた理由を紹介。綺麗な碁盤の目になっているはずの札幌、一本の道だけが少しカーブしていた。当時、ここには池や川があったためにそれを避けたことからカーブしたのだという。
開拓のカギを握る 池と川の痕跡 [topic=20544091] 詳細
[ 23:59:28 - 00:01:55 ] 147秒 詳細
北海道庁の裏側、当時、ここには池や川があったためにそれを避けたことからカーブしたのだという。この川を辿って行くと、札幌を開拓の拠点に置いた理由がわかるという。市内には湧き出し口が13か所もあった。札幌の地形は扇状地であった。
なぜここを開拓?札幌は“扇状地” [topic=20544092] 詳細
[ 00:01:55 - 00:05:05 ] 190秒 詳細
札幌は扇状地で、しかもかなりなだらかだった。そのため、開拓の拠点としていい場所だったのだという。青は低地でピンクは泥炭地、住みやすいのは真ん中部分だけだったため、外側をどうしていくかが問題だった。
川の跡を追って扇状地と低湿地の堺へ [topic=20544093] 詳細
[ 00:05:05 - 00:11:05 ] 360秒 詳細
扇状地と低湿地の堺へ向かうタモリら。川の跡をたどっていく。ついたのは、へこみ全体が池だった場所。この池をいかして、明治に偕楽園が作られた。さらにたどっていくと、北海道大学へ入った。そこでは川の流れを再現していた。さらにクラーク博士の像の視線の先、そこが低湿地と扇状地の堺である。
200万都市になるため“低湿地”をどう開拓? [topic=20544094] 詳細
[ 00:11:05 - 00:15:45 ] 280秒 詳細
北海道大学内の、低湿地だった場所へ向かった。そこは今農場になっている。低湿地を農場に開拓出来たからこそ、200万都市になれたのだという。土管を農地に埋め込み、排水する技術が広まって、低湿地を農地として使えるようになった。さらに治水のために明治20年に作られた新川がある。札幌にはこのように、排水のために作られた川がたくさんある。
札幌中心部に200万都市の秘密が [topic=20544095] 詳細
[ 00:15:45 - 00:18:12 ] 147秒 詳細
札幌の中心部、老舗のお菓子屋を訪れたタモリら。店内では地下90mの水、伏流水を飲むことが出来る。お菓子にもこの伏流水を使っている。
夜の街“すすきの”に発展の痕跡が!? [topic=20544096] 詳細
[ 00:18:12 - 00:24:02 ] 350秒 詳細
札幌が発展した理由を探るため、すすきのへ向かった。するとすすきのの入口で、道路が100mほどいくと曲がっていることに気づいた。当時、ここには土塁があったのだという。これは明治4年につくられた薄野遊郭の名残である。開拓が始まったのが明治2年のため、原野からわずか2年で遊郭が作られたということである。開拓初期、役人らが訪れて男ばかり、冬になると帰ってしまうため、北海道に留めるために開拓使が遊郭を作ったという。明治8年には、遊郭の周りに町が出来ていた。
なぜ200万都市に?道が碁盤の目じゃない! [topic=20544097] 詳細
[ 00:24:02 - 00:29:13 ] 311秒 詳細
札幌の大きな寺の前のT字路。ここからは、最初に見たマンションが見えた。碁盤の目になっていないところが、発展の秘密だという。路面電車の通っている道につくと、また道路が曲がっていた。ここは、開拓使がつくった札幌中心部の町のきわ、さらに別で作られていた山鼻村があり、別々に作られたが故に碁盤の目が曲がってしまったのである。
周辺の開拓地が発展 巨大な札幌へ! [topic=20544098] 詳細
[ 00:29:13 - 00:31:18 ] 125秒 詳細
札幌の開拓が行われていた当時、たくさんの町が同時多発的に開拓されていた。札幌市の範囲で20近くの農村があった。戦後、炭鉱が次々と閉山し、働き口を求めた人が札幌に訪れ、住宅地が拡大。やがて町と町がつながり、巨大な札幌市になった。
札幌の始まりの地 “豊平川”へ [topic=20544099] 詳細
[ 00:31:18 - 00:33:01 ] 103秒 詳細
札幌の始まりの地、豊平川を訪れたタモリら。そこには200万都市の記録に残るスタート、2家族の石碑があった。