番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240711 > エピソード: 1330534

エピソード情報

放送局 関西テレビ
プログラム名 元日の大震災 日本航空石川野球部
エピソード名 〜つながる絆、恩返しの甲子園〜
カテゴリ 一般実用
放送時間 2024-07-11 02:50:00 〜 2024-07-11 03:45:00
WireActionデータ更新時刻 2024-07-11 07:53:41

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=11507583]
オープニング [topic=17541979] 詳細
[ 02:50:00 - 02:51:41 ] 101秒 詳細
オープニング映像。

(元日の大震災 日本航空石川野球部) [corner=11507584]
元日の大震災 日本航空石川野球部 つながる絆、恩返しの甲子園〜 がんばろう石川 [topic=17541980] 詳細
[ 02:51:41 - 02:55:46 ] 245秒 詳細
日本航空石川高校は春夏4度の甲子園出場経験がある石川県の強豪。しかし今年1月に彼らがいたのは山梨県だった。去年秋の北信大会でベスト4になりセンバツ高校野球の出場校に推薦された。しかし今年の元日には能登半島を襲った大地震では、最大震度7の死者244人、全壊家屋は5766棟あまりに。日本航空石川の校舎は最も被害が大きかった輪島市にあり、野球部の寮も地震の被害を受けたが部員は正月のためにけが人は出なかった。しかし甲子園の歩みは止まってしまった。救いの手を差し伸べたのは山梨県にある系列校の日本航空学園。石川校の受け入れを決定し第一弾が甲子園を目指す野球部員が山梨に。その寝泊まりも教室でしているが教室の床に段ボールベットを置いて寝ている。
[ 02:55:46 - 03:00:53 ] 307秒 詳細
食事は食堂で行われ、一日三食出るが配膳も受け入れ先の生徒が手伝ってくれるという。キャプテンの宝田くんは福井県出身で、部員たちの気持ちを環境が変わってしまい、現実を受け止めることて難しかったがこうして皆で野球ができることがが嬉しいと答えた。同じ頃被災地の石川県ではチームに合流せずに避難所にいる部員がいた。福森誠也くんがは七尾市出身で、あの地震が起きた時には輪島市内の祖母の家にいて両親や兄弟も一緒だったという。着の身着のまま祖母をおんぶして逃げたという福森くん。しかし祖母の家は倒壊し住めなくなったという。避難所にいる祖母が心配で手伝っている状況でチームに合流できないでいるという。しかし試行錯誤した結果山梨へ行くことにしたという。
[ 03:00:53 - 03:07:31 ] 398秒 詳細
その旅たちの日、祖母と別れを告げた福森くんは日本航空学園へ。その翌日にはチームの全体練習を再開した。そのグラウンドは他校にあり、一ヶ月ぶりの練習になるという。廃校の増穂商業は日本航空石川の野球部のために山梨県と富士川町の強力で電気と水道を開通したという。福森くんも練習に参加し、被災者の人々に自分たちが頑張っている姿を届けたいと答えた。
[ 03:07:31 - 03:10:18 ] 167秒 詳細
その夜には選手主導のミーティングが開催。その議題は今高校野球をやる意義。選手たちは被災地や被災者への思い、支えてくれる人たちへの感謝や応援などをあげた。しかし被災した福森くんはこの日発言をせず。主将の宝田くんには被災者である彼とチームには違う考えを持っていると察していたという。それ故に彼にどう声をかけていいか難しいと答えた。チームは県外出身者が多く、大地震を経験をしていないことがチームの分断の危機を迎えていた。そんなチームに監督が動いた。

CM [corner=11507585]

(元日の大震災 日本航空石川野球部) [corner=11507586]
元日の大震災 日本航空石川野球部 つながる絆、恩返しの甲子園〜 がんばろう石川 [topic=17541981] 詳細
[ 03:12:33 - 03:17:41 ] 308秒 詳細
県外からの部員は被災地に向かわず直接今の環境に身をおいているが、監督は全員の前で福森くんに地震が発生し、その後の体験談を語ってもらったという。部員は福森くんが泣きながら思い詰めて話す様子に被災地と被災者の思いを知った様子。主将の宝田くんは彼のエピソードに当たり前にできている事に感謝していく必要があると述べた。福森くんは今回皆の前で話したことについては大地震を経験していない人に自分の話が出来たことや、チーム一丸になれるよう頑張りたいとし、チームもまとまり始めるだろうと日記に綴った
[ 03:17:41 - 03:26:13 ] 512秒 詳細
そしてセンバツ高校野球の出場校が発表された。北信越地区の代表は3校が出場する。その3校の中に日本航空石川が選ばれた。地元にも朗報が流れ込み歓喜に沸き立つ中、福森くんは祖母に早速センバツに出場できると報告した。そして始まったのはメンバー争い。ベンチ入りできるのは20人。福森くんはこれまでベンチ入りの経験はない。甲子園に出ることを目的に入学し、祖母との約束を守るためにベンチ入りのテスト登板に臨んだ。しかし2失点になるなどし監督へのアピールは出来ずに終わった。福森くんはそれでも地元をはげましたいと甲子園での活躍を誓った。
[ 03:26:13 - 03:29:41 ] 208秒 詳細
3月にはセンバツに向けた最後のアピールの場が設けられた。3イニングを任された福森くんは、三者凡退に抑えるなどし3回1失点におさえた。そして甲子園のベンチ入りメンバー20人が発表された。

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(元日の大震災 日本航空石川野球部) [corner=11507588]
元日の大震災 日本航空石川野球部 つながる絆、恩返しの甲子園〜 がんばろう石川 [topic=17541982] 詳細
[ 03:31:56 - 03:38:11 ] 375秒 詳細
3月6日に甲子園のベンチ入りメンバー20人が発表された。福森くんは背番号19番で出場できることが決まった。そして3月18日にはセンバツ高校野球の開会式が行われた。チームは笑顔感謝恩返しと掲げ、地元とともに頑張りたいとした。そして常総学院との試合が行われ、試合には敗れたが福森くんの祖母はその姿に皆が頑張ったと答えた。その3日後部員たちは輪島市へ。

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