番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240512 > エピソード: 1317126
エピソード情報
放送局 | テレビ大阪 |
---|---|
プログラム名 | 開運!なんでも鑑定団 |
エピソード名 | 【超貴重<江戸金貨>一挙鑑定&奇想絵師作に衝撃値】 |
カテゴリ | 一般実用 |
放送時間 | 2024-05-12 12:54:00 〜 2024-05-12 14:00:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2024-05-12 14:03:40 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=11367138]
オープニング
[topic=17332466]
詳細
[
12:54:00
-
12:54:54
]
54秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
(開運!なんでも鑑定団)
[corner=11367139]
本日のゲスト
[topic=17332467]
詳細
[
12:54:54
-
12:56:44
]
110秒
詳細
本日のゲストは池上季実子。祖父は八代目坂東三津五郎、従兄弟は坂東八十助という名門に育った池上は1974年にドラマ「まぼろしのペンフレンド」でデビュー。1981年の大河ドラマ「おんな太閤記」では淀殿を演じて話題となり、1983年には「陽氣楼」で日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。今年4月にはデビュー50周年を迎える。
本日のゲストは池上季実子。祖父は八代目坂東三津五郎、従兄弟は坂東八十助という名門に育った池上は1974年にドラマ「まぼろしのペンフレンド」でデビュー。1981年の大河ドラマ「おんな太閤記」では淀殿を演じて話題となり、1983年には「陽氣楼」で日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。今年4月にはデビュー50周年を迎える。
ゲスト 池上季実子 手長足長の燭台
[topic=17332468]
詳細
[
12:56:44
-
13:00:38
]
234秒
詳細
池上季実子のお宝は手長足長の燭台。古美術商の前夫が仕入れてきたものだが、詳しい由来は全くの不明。鑑定の結果、江戸後期に作られた珍品であることが判明。評価額は60万円となった。
池上季実子のお宝は手長足長の燭台。古美術商の前夫が仕入れてきたものだが、詳しい由来は全くの不明。鑑定の結果、江戸後期に作られた珍品であることが判明。評価額は60万円となった。
間一髪で手元に残した 奇想の絵師の掛軸とは?
[topic=17332469]
詳細
[
13:00:38
-
13:10:32
]
594秒
詳細
最初の依頼品は亡くなった義父が残した骨董品を処分する際、間一髪で手元に残したという曾我蕭白の掛軸。曾我蕭白は江戸時代中期の絵師で、不気味で奇怪な表情や極端なデフォルメから「奇想の絵師」と呼ばれる。1730年に京都で生まれた蕭白は17歳で天涯孤独の身となったため、絵を描き始めた時期や誰に師事したのかは明らかになっていない。曾我蕭白という名は曾我蕭白に私淑したことから名乗り始めたもの。普段は伊勢や播磨を放浪しながら居候しては酒に溺れる生活を送ったが、興が乗った際には変幻自在の線を使い分けて素晴らしい作品を残した。作品の中には権力者や賢者、仙人を通じて社会に対する風刺を展開したものもあり、空前絶後の迫力に満ちた筆致が残されている。
最初の依頼品は亡くなった義父が残した骨董品を処分する際、間一髪で手元に残したという曾我蕭白の掛軸。曾我蕭白は江戸時代中期の絵師で、不気味で奇怪な表情や極端なデフォルメから「奇想の絵師」と呼ばれる。1730年に京都で生まれた蕭白は17歳で天涯孤独の身となったため、絵を描き始めた時期や誰に師事したのかは明らかになっていない。曾我蕭白という名は曾我蕭白に私淑したことから名乗り始めたもの。普段は伊勢や播磨を放浪しながら居候しては酒に溺れる生活を送ったが、興が乗った際には変幻自在の線を使い分けて素晴らしい作品を残した。作品の中には権力者や賢者、仙人を通じて社会に対する風刺を展開したものもあり、空前絶後の迫力に満ちた筆致が残されている。
提供
[topic=17332489]
詳細
CM
[corner=11367140]
(開運!なんでも鑑定団)
[corner=11367143]
間一髪で手元に残した 曾我蕭白の掛軸
[topic=17332471]
詳細
[
13:14:42
-
13:16:20
]
98秒
詳細
依頼品の曾我蕭白の掛軸、本人評価額は250万円。しかし、残念ながら蕭白の作品ではなく蕭白を意識した幕末期頃の作品で、鑑定結果は5000円となった。
依頼品の曾我蕭白の掛軸、本人評価額は250万円。しかし、残念ながら蕭白の作品ではなく蕭白を意識した幕末期頃の作品で、鑑定結果は5000円となった。
出張なんでも鑑定団
[corner=11367144]
長野県小諸市
[topic=17332472]
詳細
[
13:16:20
-
13:17:41
]
81秒
詳細
今回は懐古園を擁し、ワインが名産の長野県小諸市で出張鑑定。
今回は懐古園を擁し、ワインが名産の長野県小諸市で出張鑑定。
一目惚れして買った 篠田義一の金彩花瓶
[topic=17332473]
詳細
[
13:17:41
-
13:20:38
]
177秒
詳細
1人目の依頼品が持ち込んだのは篠田義一の金彩花瓶。一目惚れして30万円で購入したもので、本人評価額は35万円。鑑定結果は篠田の真作に間違いなく、60万円となった。
1人目の依頼品が持ち込んだのは篠田義一の金彩花瓶。一目惚れして30万円で購入したもので、本人評価額は35万円。鑑定結果は篠田の真作に間違いなく、60万円となった。
代々伝わる 谷文晁の掛軸
[topic=17332474]
詳細
[
13:20:38
-
13:23:10
]
152秒
詳細
続いての依頼品は実家に代々伝わっているという谷文晁の掛軸。本人評価額は300万円だが、残念ながら鑑定結果は全くの偽物。評価額は1万円となった。
続いての依頼品は実家に代々伝わっているという谷文晁の掛軸。本人評価額は300万円だが、残念ながら鑑定結果は全くの偽物。評価額は1万円となった。
祖母の家で見つけた 青銅製の麒麟の香炉
[topic=17332475]
詳細
[
13:23:10
-
13:26:08
]
178秒
詳細
続いての依頼品は酒造の販売店だったという祖母の家で見つけた青銅製の麒麟の香炉。本人評価額は47万円。鑑定結果は蝋型鋳造で作られた幕末から明治期の一点もので、評価額は70万円となった。
続いての依頼品は酒造の販売店だったという祖母の家で見つけた青銅製の麒麟の香炉。本人評価額は47万円。鑑定結果は蝋型鋳造で作られた幕末から明治期の一点もので、評価額は70万円となった。
長野出身の水彩画家 丸山晩霞の六曲一双屏風
[topic=17332476]
詳細
[
13:26:08
-
13:28:58
]
170秒
詳細
続いての依頼品は丸山晩霞の六曲一双屏風。依頼者の祖父が小諸市に滞在していた丸山晩霞本人に直談判して描いてもらったもので、本人評価額は100万円。
続いての依頼品は丸山晩霞の六曲一双屏風。依頼者の祖父が小諸市に滞在していた丸山晩霞本人に直談判して描いてもらったもので、本人評価額は100万円。
CM
[corner=11367145]
(提供)
[corner=11367146]
提供
[topic=17332477]
詳細
CM
[corner=11367147]
出張なんでも鑑定団
[corner=11367148]
長野出身の水彩画家 丸山晩霞の六曲一双屏風
[topic=17332478]
詳細
[
13:37:43
-
13:39:06
]
83秒
詳細
丸山晩霞の六曲一双屏風、鑑定結果は晩霞本人が岩絵具で絹に描いた大名品。評価額は400万円となった。
丸山晩霞の六曲一双屏風、鑑定結果は晩霞本人が岩絵具で絹に描いた大名品。評価額は400万円となった。
父が買った 九谷焼の観音像
[topic=17332479]
詳細
[
13:39:06
-
13:42:06
]
180秒
詳細
最後の依頼品は70年ほど前に父が借金して購入したという九谷焼の観音像。本人評価額は80万円。しかし、量産された工芸品であるため鑑定結果は2万円となった。
最後の依頼品は70年ほど前に父が借金して購入したという九谷焼の観音像。本人評価額は80万円。しかし、量産された工芸品であるため鑑定結果は2万円となった。
(開運!なんでも鑑定団)
[corner=11367149]
コレクター自慢の 光り輝く古銭とは?
[topic=17332480]
詳細
[
13:42:06
-
13:52:31
]
625秒
詳細
続いての依頼品は江戸から明治初期にかけて発行された全種類の一分金、ニ分金、一朱金、二朱金30点セット。徳川家康による1601年の金座銀座設立から明治政府による1871年の新貨条例制定までの270年間、日本では金貨・銀貨・銭貨の三貨幣が流通。そのうち金貨は「両」「分」「朱」の単位で表されており、十六朱、もしくは四分で一両とする四進法で分割されていた。一分金やニ分金は「方金」とも呼ばれ、一分金は1601年に慶長一分金が発行されて以降、五代将軍・綱吉により金品位を下げる改鋳が行われた元禄一分金、再び金品位を上げた正徳一分金など多数の一分金が登場。しかし、幕府の財政悪化や金の採掘量が減少するにつれて金品位は徐々に下がり、幕末期に発行された万延一分金は金品位・重さ共に大幅に下落。二分金や二朱金にも様々な種類があるが、一朱金は全時代を通して一種類のみだった。今回の依頼品は慶長一分金の刻印違いや逆打ちといった珍品も含めたコレクションで、中には現存数が極めて少ない佐渡一分金も含まれている。
続いての依頼品は江戸から明治初期にかけて発行された全種類の一分金、ニ分金、一朱金、二朱金30点セット。徳川家康による1601年の金座銀座設立から明治政府による1871年の新貨条例制定までの270年間、日本では金貨・銀貨・銭貨の三貨幣が流通。そのうち金貨は「両」「分」「朱」の単位で表されており、十六朱、もしくは四分で一両とする四進法で分割されていた。一分金やニ分金は「方金」とも呼ばれ、一分金は1601年に慶長一分金が発行されて以降、五代将軍・綱吉により金品位を下げる改鋳が行われた元禄一分金、再び金品位を上げた正徳一分金など多数の一分金が登場。しかし、幕府の財政悪化や金の採掘量が減少するにつれて金品位は徐々に下がり、幕末期に発行された万延一分金は金品位・重さ共に大幅に下落。二分金や二朱金にも様々な種類があるが、一朱金は全時代を通して一種類のみだった。今回の依頼品は慶長一分金の刻印違いや逆打ちといった珍品も含めたコレクションで、中には現存数が極めて少ない佐渡一分金も含まれている。
CM
[corner=11367150]
(開運!なんでも鑑定団)
[corner=11367151]
提供
[topic=17332481]
詳細
江戸から明治初期に発行された 極小の四角い金貨
[topic=17332482]
詳細
[
13:57:06
-
13:59:40
]
154秒
詳細
一分金、二部金、二朱金、一朱金コレクション30点、本人評価額は500万円。鑑定の結果、佐渡一分金は一枚で250万円となる大珍品。評価額は総額で850万円となった。
一分金、二部金、二朱金、一朱金コレクション30点、本人評価額は500万円。鑑定の結果、佐渡一分金は一枚で250万円となる大珍品。評価額は総額で850万円となった。