番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20230917 > エピソード: 1262442
エピソード情報
放送局 | NHK総合大阪 |
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プログラム名 | 生誕100年 司馬遼太郎 雑談「昭和」への道 |
エピソード名 | 4▽近代国家と圧搾空気〜教育勅語 |
カテゴリ | 一般実用 |
放送時間 | 2023-09-17 13:05:00 〜 2023-09-17 13:50:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2023-09-17 14:40:00 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=10813532]
オープニング
[topic=16533099]
詳細
[
13:05:00
-
13:06:05
]
65秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
司馬遼太郎 雑談「昭和」への道 第四回 近代国家と圧搾空気〜教育勅語〜
[corner=10814004]
教育勅語について
[topic=16533671]
詳細
[
13:06:05
-
13:28:07
]
1322秒
詳細
教育勅語は明治23年に発布された戦前教育の根本方針。司馬は、坂東三津五郎が終戦後勧進帳を披露することになったとき京都府立一中の校長先生に頼み「どうぞ」と貰った教育勅語の巻物が歌舞伎の小道具になった、日本人の浅薄さをここから汲み取るのは間違いでその時代は日本ではなかったとどこかで思ったのではないか、内藤湖南博士は我々は室町時代の子だと言っておりその通りである、応仁の乱は中世の古いものを焼き捨てて新しいものを用意するための生物現象のようなものだった、我々の歴史は第一級の歴史であるが昭和元年から昭和20年までは異常である、我々はお経のように教育勅語の音律を覚えているだけで内容までは覚えていない、教育勅語は漢文そのものだった、草案を書いた元田永孚は熊本で朱子学を学んでいた、朱子学をやった人は理屈っぽく特に熊本は戦国時代から論を立て始めたら譲らないと知られていたなどと語った。
教育勅語は明治23年に発布された戦前教育の根本方針。司馬は、坂東三津五郎が終戦後勧進帳を披露することになったとき京都府立一中の校長先生に頼み「どうぞ」と貰った教育勅語の巻物が歌舞伎の小道具になった、日本人の浅薄さをここから汲み取るのは間違いでその時代は日本ではなかったとどこかで思ったのではないか、内藤湖南博士は我々は室町時代の子だと言っておりその通りである、応仁の乱は中世の古いものを焼き捨てて新しいものを用意するための生物現象のようなものだった、我々の歴史は第一級の歴史であるが昭和元年から昭和20年までは異常である、我々はお経のように教育勅語の音律を覚えているだけで内容までは覚えていない、教育勅語は漢文そのものだった、草案を書いた元田永孚は熊本で朱子学を学んでいた、朱子学をやった人は理屈っぽく特に熊本は戦国時代から論を立て始めたら譲らないと知られていたなどと語った。
国民国家の成立
[topic=16533758]
詳細
[
13:28:07
-
13:49:22
]
1275秒
詳細
司馬は明治22年に日本は国民国家が成立した、建物に基礎工事が必要なように国家というものは圧搾空気が必要、伊藤博文は朱子学そのものと言って良いような教育勅語には反対だったが自由民権運動を防ぐために作ったという目的は同じだった、福澤諭吉は明治7年の「学問ノスゝメ」で国は国民の名代で国民が主であると書いている、日本の歴史の中で人民の権利を主張して政府に迫った義人は佐倉惣五郎だけだと言って圧搾空気の種にしたかったのだと思う、ただ大きくそれを展開したことはなくそれほど圧搾空気は作りにくいもの、仏教は国の圧搾空気になるほどの力を失っていたため結果として朱子学による教育勅語ができあがった、勅語と憲法とが軍の頭の中でややこしくなっていくということが或いは別の国だったかもしれない昭和前期の国家の精神構造の中で重要な部分を占めてくる、三津五郎さんが校長先生から「ああどうぞ」と教育勅語の巻物をもらったことは象徴的な出来事などと語った。
司馬は明治22年に日本は国民国家が成立した、建物に基礎工事が必要なように国家というものは圧搾空気が必要、伊藤博文は朱子学そのものと言って良いような教育勅語には反対だったが自由民権運動を防ぐために作ったという目的は同じだった、福澤諭吉は明治7年の「学問ノスゝメ」で国は国民の名代で国民が主であると書いている、日本の歴史の中で人民の権利を主張して政府に迫った義人は佐倉惣五郎だけだと言って圧搾空気の種にしたかったのだと思う、ただ大きくそれを展開したことはなくそれほど圧搾空気は作りにくいもの、仏教は国の圧搾空気になるほどの力を失っていたため結果として朱子学による教育勅語ができあがった、勅語と憲法とが軍の頭の中でややこしくなっていくということが或いは別の国だったかもしれない昭和前期の国家の精神構造の中で重要な部分を占めてくる、三津五郎さんが校長先生から「ああどうぞ」と教育勅語の巻物をもらったことは象徴的な出来事などと語った。