番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20230119 > エピソード: 1206456

エピソード情報

放送局 NHK総合大阪
プログラム名 映像の世紀バタフライエフェクト
エピソード名 「戦場の女たち」
カテゴリ 教育教養
放送時間 2023-01-19 00:25:00 〜 2023-01-19 01:10:00
WireActionデータ更新時刻 2023-01-19 03:38:54

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=10240675]
今回は… [topic=15692161] 詳細
[ 00:25:00 - 00:28:02 ] 182秒 詳細
女性が初めて戦場に足を踏み入れた第二次世界大戦の最中、各国では数多くの女性が英雄となった。ライフル一丁で309人を射殺したソビエト赤軍の伝説的スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコ。連合軍を恐怖に陥れた急降下爆撃戦術を生み出したドイツの天才飛行士、ハンナ・ライチュ。ナチス占領下のフランスに潜入し、ノルマンディー上陸作戦を成功に導いた女性スパイ。戦場に身を投じた女性たちは英雄として尊敬を集めた一方で、多くの悲劇を背負うことになる。今回は戦場に命を懸けた女性たちの、勇気と悲しみの物語。
オープニング [topic=15692162] 詳細
[ 00:28:02 - 00:28:32 ] 30秒 詳細
オープニング映像。

(映像の世紀 バタフライエフェクト) [corner=10240676]
戦場の女たち [topic=15692163] 詳細
[ 00:28:32 - 00:35:35 ] 423秒 詳細
1938年、建国間もないソ連に国民的ヒロインが誕生した。モスクワからソ連極東まで無着陸飛行を行った飛行士のマリーナ・ラスコーヴァである。22歳でソ連初の女性航空士となった彼女の姿を目にしたソ連の少女たちは、空を目指して飛行クラブの門を叩くことになる。ウクライナ生まれのリュドミラ・パヴリチェンコもそのうちの1人だった。しかし、ひどい乗り物酔いに悩まされたパブリチェンコは飛行士の夢を断念する。そんな彼女だが、空の次に夢中になった射撃では抜群の才能を発揮する。狙撃学校への入学を特別に許可され、更に射撃の腕を磨いていったパブリチェンコだが、1941年に勃発した独ソ戦が彼女の運命を大きく変えた。パブリチェンコは祖国防衛の最前線に立つことを志願し、軍港都市・オデーサの防衛戦に参加。ここでパブリチェンコは人生で初めての狙撃命令を受けた。400m先の敵陣に立つ将校を狙うように命じられたパブリチェンコだが、ライフルを構えた瞬間に訓練とは全く異なる感覚に襲われる。狙撃の精細を欠いた彼女は敵の砲撃により負傷してしまうが、それでも戦意が萎えることはなかった。退院後、戦場に戻ったパブリチェンコは部隊でも屈指の狙撃能力を発揮するようになる。終戦までに309人の敵兵を狙撃したパブリチェンコは、ドイツ軍から「スターリンの死のエンジェル」と呼ばれ畏敬されたという。
[ 00:35:35 - 00:41:05 ] 330秒 詳細
一方、彼女の上空でも数多くの女性たちが戦っていた。空の英雄、マリーナ・ラスコーヴァは彼女に憧れて空を目指した女性パイロットたちを率いて戦闘に参加した。軍から与えられた旧式の爆撃機は敵との戦闘に耐えうるような代物ではなかったが、ラスコーヴァと女性パイロットは視界の悪い深夜に爆撃を行うことで敵の不意を突き、ドイツ軍から「夜の魔女」の異名で恐れられた。命がけの任務に従事する女性パイロットたちをラスコーヴァは「戦争が終わったら大きなパーティーを開こう」と励まし続けていたが、それが叶うことなく彼女は1943年に飛行機事故で命を落とす。30歳で亡くなったラスコーヴァの葬儀は赤の広場で行われ、遺灰はクレムリンの壁に埋葬された。
[ 00:41:05 - 00:51:00 ] 595秒 詳細
ソ連と敵対していたナチス・ドイツにも天才と呼ばれた女性パイロットがいた。1937年にグライダーで女性初のアルプス横断飛行を成し遂げたハンナ・ライチュである。彼女はその飛行技術をドイツ軍に買われ、民間人でありながら史上初のヘリコプターパイロットに指名された。その後もテストパイロットとして軍の兵器開発に協力した彼女がもたらしたデータは、ドイツ軍に画期的な戦術「急降下爆撃」の糸口を与える。これは目標上空から急角度で突入する爆撃手法で、これまでとは比べ物にならない命中精度を誇った。さらに、ライチュはムッソリーニ救出作戦に用いられた軍用グライダーの開発にも参加。熱烈な祖国愛に突き動かされていた彼女だが、1943年にアメリカが本格的な派兵を開始すると祖国ドイツは次第に劣勢へと追い込まれていく。翌1944年、ライチュは戦局が悪化する中で一級鉄十字章を受勲するが、その授与式で彼女はヒトラーに戦局を打開する為にある作戦を進言する。それは、V1飛行爆弾にパイロットを乗せて敵陣に突入させるという常軌を逸した代物だった。彼女の提案はヒトラーをして「兵士に生き残る可能性は残すべきではないか」と言わしめるものだったが、ライチュは自らパイロットに志願することで計画を承認させる。しかし、時速600kmで飛行する爆弾の操縦は困難を極め、計画は程なくして白紙に戻された。
[ 00:51:00 - 00:54:35 ] 215秒 詳細
過酷な消耗戦となった独ソ戦最中の1942年、ソ連は人手不足を補うために女性の動員を開始する。独ソ戦の戦場に足を踏み入れた80万から100万に及ぶ女性たちは、男性とは異なる戦争の現実に直面した。あのリュドミラ・パヴリチェンコでさえも、ドイツ兵よるレイプから身を守るためにライフルとは別に護身用の拳銃を携えていたという。
[ 00:54:35 - 01:01:00 ] 385秒 詳細
1944年、連合軍はノルマンディー上陸作戦に向けて準備を進めていた。これはフランス北西部のノルマンディー地方に15万の連合軍を上陸させるというものだったが、ドイツ軍に計画が察知されてしまえば無防備な水際で迎撃されてしまう。ドイツ軍のノルマンディー集結を防ぐことが、この史上最大の作戦を成功させる絶対条件だった。この作戦を実現させるにあたり大きな役割を担ったのがイギリスの特殊作戦執行部・SOEが育成していた女性工作員たちだ。彼女らは銃の扱い方やパラシュート降下、暗号解読などの訓練を受けた上でナチス占領下のフランスへと送り込まれ、市井の人々に紛れ込んだ。そして、1944年6月。ラジオからフランスの詩人・ポール・ヴェルレーヌの詩の一節、「秋の日の ヴィオロンのため息 身にしみて ひたぶるに うら悲し」が流れると同時に彼女たちは行動を開始する。工作員と現地のレジスタンスたちはインフラを攻撃してドイツ軍の移動を妨害し、ドイツ軍のノルマンディー地方集結を大幅に遅延させることに成功。上陸作戦の成功により第二次世界大戦における連合国の勝利は確実なものとなったが、作戦に参加した女性工作員37人のうち14人は帰らぬ人となった。
[ 01:01:00 - 01:02:38 ] 98秒 詳細
1945年5月8日、ドイツが降伏するとハンナ・ライチュは米軍に捕虜として捕らえられた。18ヶ月の勾留から保釈されたライチュは戦後に再び空へと戻ろうとしたが、ナチスに加担していた彼女へ向けられる視線は冷ややかなものだった。オーストリアやアメリカを転々としながらもグライダーの飛行記録に挑み続けたライチュは、1979年に67歳で死去する。死の直前まで彼女はヒトラーから授与された鉄十字章を身に着け、祖国への愛を口にし続けていたという。
[ 01:02:38 - 01:05:10 ] 152秒 詳細
ライチュとは対照的にリュドミラ・パヴリチェンコは戦後も英雄として遇された。しかし、その一方で戦場での記憶はPTSDとなって彼女を苦しめ、やがてパブリチェンコはアルコール中毒に陥っていった。戦後30年を経ても消えない戦場の記憶を語り続けたパブリチェンコは、1974年に58歳で亡くなる。大きく報じられることもない、かつての英雄としてはあまりに寂しい最期だった。
[ 01:05:10 - 01:09:15 ] 245秒 詳細
500人以上の女性兵士たちの証言を集めたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、彼女たちが経験した出来事について「男たちの関心をひくのは行為であり、思想や利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女の戦争についての記憶というのは、その気持ちの強さ、痛みの強さにおいて男よりも強度が強い。女が語る戦争は、男のそれよりずっと恐ろしい」と記した。第二次世界大戦から時を経て、世界では女性兵士たちの数が飛躍的に増加している。そのうちの1人、ウクライナで狙撃手として戦うオレーナ・ビロゼルスカ中尉は戦場へ足を踏み入れた理由についてこう答えた。「もし誰かが日本を攻撃してきたら、あなただって戦うでしょう?私が戦うのは、祖国と愛する家族を守るためなのです」。