番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221103 > エピソード: 1189490

エピソード情報

放送局 NHK総合大阪
プログラム名 事件の涙
エピソード名 「“原発の看板”を背負い続けて〜福島第一原発事故から11年〜」
カテゴリ 教育教養
放送時間 2022-11-03 18:05:00 〜 2022-11-03 18:35:00
WireActionデータ更新時刻 2022-11-03 21:41:00

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=10059010]
オープニング [topic=15426107] 詳細
[ 18:05:00 - 18:05:06 ] 6秒 詳細
オープニング映像。
“原発の看板”を背負い続けて~福島第一原発事故から11年~ [topic=15426098] 詳細
[ 18:05:06 - 18:08:49 ] 223秒 詳細
かつて福島・双葉町には原発との共存を掲げた「原子力 明るい未来のエネルギー」という巨大な看板があった。標語を考えた男性は当時小学6年生だった。その後原発が起き、男性は描いた未来とは真逆の現実を突きつけられ、少年時代からの誇りは罪の意識へと変わった。事故後、街は看板の撤去を決定した。少年時代の言葉を背負い人生を翻弄され続けた男性の心の軌跡。

“原発の看板”を背負い続けて~福島第一原発事故から11年~ [corner=10059011]
茨城 古河 [topic=15426099] 詳細
[ 18:08:49 - 18:10:10 ] 81秒 詳細
男性は原発事故後、福島を離れ茨城県で暮らしている。2人の息子は震災後に生まれ、福島に住んだことはない。男性は事故直後から片道4時間かけて故郷に通い続けている。
福島 双葉町 [topic=15426100] 詳細
[ 18:10:10 - 18:13:21 ] 191秒 詳細
福島第一原発が立地する双葉町で、男性は幼い頃から原発関連の仕事をしていた親戚や近所の人に囲まれて育った。原発があれば町は発展していくと男性は子供心に期待していた。チェルノブイリ原発事故は家や学校でも大きな話題になった。事故の翌年町は町民から原発の推進をPRする標語を募集し、男性も学校の宿題で提出した。男性の標語は約280点の中から選ばれて町から表彰された。大学卒業後会社勤めを経て、標語の看板のすぐ隣で原発で働く人たちのためのアパート経営を始めた。
2010年 [topic=15426101] 詳細
[ 18:13:21 - 18:14:47 ] 86秒 詳細
男性は2010年に妻と結婚、2011年3月に東日本大震災、そして原発事故が起きた。男性は子どもの成長を記録しようと買ったばかりのカメラで身の回りの様子を撮り始めた。妊娠中の妻を守るため原発から少しでも遠くに逃げることだけを考えていた。
2011年7月 [topic=15426102] 詳細
[ 18:14:47 - 18:18:47 ] 240秒 詳細
事故から4か月後、男性は町への一時立ち入りのため現地に向かった。男性は自宅とアパートのローンを合わせて1500万円の借金を抱えたまま仕事を失った。道中、標語の看板の前を通り過ぎたときに車内がざわつき、男性は体がすくんだという。男性は看板の前に立ち「破滅」の文字を掲げた写真を撮影した。男性は「少年時代の自分に向けて『これは間違っていた』と」「身も心も破滅した、町もすべて破滅だと」などと話した。生活基盤は県外に移り、双葉町に通う頻度は減っていった。男性は震災後2児の父になり、生活再建に向けて新たに太陽光発電の事業を始めた。
2015年 [topic=15426103] 詳細
[ 18:18:47 - 18:22:58 ] 251秒 詳細
2015年、町が看板の老朽化を理由に撤去することを決めたという報せが男性のもとに届いた。男性は「自分自身は恥ずかしいけど町に看板を残し続けることが意味があることだと思った」「こういう時代が本当にあったんだとそのまま伝えるべきだと」と語った。方針決定から半年後、男性は避難先から現場に駆けつけ、報道陣にその思いを語った。世間の反応は予想以上に厳しいものだった。男性は原発を推進してきた町で事故が起きたことをなかったことにしたくないと、ふるさとの記録に力を入れるようになった。
2020年9月 [topic=15426104] 詳細
[ 18:22:58 - 18:25:37 ] 159秒 詳細
自宅を解体することに心が傾いていた男性は2020年9月、初めて子どもたちを双葉町の自宅に連れて行った。子どもたちに町のことを話す中で、家をなくすことは町から看板をなくすことと重なるように思えたという。
ことし1月 [topic=15426105] 詳細
[ 18:25:37 - 18:34:32 ] 535秒 詳細
除染作業やインフラ整備が進んだ地域での宿泊が可能になったことし1月、男性は家を解体せず町に残しておくことを決めた。男性は「住むとか住まないというよりも双葉町に通い続けることで町の変わりゆく姿を一緒に見ていきたい」などと語った。「東日本大震災・原子力災害伝承館」には標語の看板のレプリカが展示されていた。男性は小学校時代の同級生を訪ね、看板のことについて初めて切り出した。同級生は「人に影響を与えるというよりは普通だったんだよ」「結果を上書きする必要ないと思う、恩恵はあったんだから」などと話した。男性は「同級生とか町の人の声は正直怖い」「ちょっと救われた部分がありました」などと話した。男性は再びローンを組みアパート経営を再開。廃炉作業や前の復興に携わる人たちを支援したいと考えている。