番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221103 > エピソード: 1189436

エピソード情報

放送局 NHK総合大阪
プログラム名 あの日 あのとき あの番組
エピソード名 「團十郎襲名」
カテゴリ 教育教養
放送時間 2022-11-03 13:05:00 〜 2022-11-03 14:15:00
WireActionデータ更新時刻 2022-11-03 18:06:42

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=10058896]
オープニング [topic=15425914] 詳細
[ 13:05:00 - 13:05:07 ] 7秒 詳細
オープニング映像。

團十郎襲名 [corner=10058897]
コーナーオープニング [topic=15425915] 詳細
[ 13:05:07 - 13:07:24 ] 137秒 詳細
市川團十郎の名は初代から350年にわたって歌舞伎界に大きな即席を残してきた。襲名は華やかさとともに重圧を伴うしきたりだと言われる。今回はNHK特集 大看板 團十郎への道を紹介。昭和60年に行われた十二代目市川團十郎の襲名。番組は襲名公演初日までの道のりを刻銘に描いている。十三代目市川團十郎白猿と八代目新之助親子を招いて襲名にかける思いを伺う。
スタジオトーク [topic=15425916] 詳細
[ 13:07:24 - 13:10:40 ] 196秒 詳細
市川團十郎は「父が襲名した折に私も七代目新之助を襲名させていただいて映像を懐かしく見ていたが初代から十二代目まで月日が流れていて、家も色んなことがあってその中で十三代目を相続することは大きな責務だと受け止めている」などと話し、市川新之助は「新之助という名前は海老蔵、團十郎となっていく名前なので嬉しく思っていて襲名が2年間できなかったことでやっとなれたという喜びがある」などと話した。2年間襲名が延期になったことについて市川團十郎は「息子は早くやりたいという気持ちがあったと思う。私もあったが準備ができて代々の團十郎と向き合う時間がしっかりできたなというのが正直なところ」などと話した。
NHK特集 大看板 團十郎への道 [topic=15425917] 詳細
[ 13:10:40 - 13:16:00 ] 320秒 詳細
市川團十郎の家と成田山新勝寺は代々切っても切れない関係にある。市川團十郎の襲名にあたっての最初の行事が成田山のお練りである。この日から5ヶ月後に歌舞伎界の大看板市川團十郎が復活した。関係者は市川團十郎復活が歌舞伎界の流程につながることを期待している。初代から11代の團十郎の歴史は歌舞伎の歴史とも言える。初代は荒事の暫や鳴神を制作した。7代目市川團十郎は勧進帳を創作。助六や鳴神などの18を集めて歌舞伎18番を制定した。5代目菊五郎らと並んで團菊左と称された九代目團十郎は歌舞伎俳優の地位向上に尽くした。11代目は苦難の時代に転移者として活躍した。浅草公会堂の正月公演は16年間親しまれてきた市川海老蔵としての最後の舞台である。今日はその千秋楽である。市川海老蔵は昭和21年8月6日、11代目團十郎の長男として東京に生まれた。7歳で初舞台、12歳で辰之介を名乗り尾上菊之助、尾上辰之助とともにさんすけブームを作った。大きな目を持つ明るくおおらかな芸風と言われている。
[ 13:16:00 - 13:22:24 ] 384秒 詳細
海老蔵は市川家の御曹司として勧進帳や鳴神などに積極的に取り組んだ。昭和58年6月、海老蔵の12代市川團十郎の襲名が発表された。白紙の状態で臨むとし修行を行った。礼拝行では私語は一切禁止とされる1日に9時間ひたすら真言を繰り返す。就寝は午後8時である。尾上菊五郎は10年経って名前を呼ばれると振り返るようになり大変な名前を継いだなと感じたなどと話した。
[ 13:22:24 - 13:35:17 ] 773秒 詳細
歌舞伎界のしきたりは多い。挨拶まわりは襲名をする俳優にとってもっとも大切な仕事の1つ。2年前から準備をしてきた型通りの袱紗、扇子、手拭いなどの配りものを持って、連日挨拶まわりが続く。歌舞伎十八番の通称助六は二代目團十郎が初演し、江戸元禄の風俗と舞台様式をほぼ当時のまま今に伝えている。助六は海老蔵の父・先代團十郎が最も得意とした出し物だった。伝統的な行事の合間には襲名の舞台を迎えるための孤独な稽古が続く。竹本文字大夫との稽古も声の出し方1つ細かに指摘を受けた。竹本文字大夫はしきりに「気張ったらいけない。気張ったらスケールが小さい」と述べていた。
[ 13:35:17 - 13:45:02 ] 585秒 詳細
海老蔵の親代わりを務めてきた前田すえさんも新たな團十郎の誕生を待ち焦がれていた。孝俊くん・智英子ちゃんは追いかけごっこやかくれんぼをしたり、帰る時間になっても遊びたいと話す元気な姿を見せている。海老蔵の長男である孝俊くんも「外郎売」で市川新之助としての舞台を踏むことに向けて、早口言葉の練習をする様子を見せている。襲名を転機に大きく成長するとされる歌舞伎俳優だが、海老蔵も代々の團十郎を継ぐとともに芸の開拓が求められる中、地方のご贔屓筋への挨拶も欠かさず行っている。襲名公演は歌舞伎座だけでなくアメリカでも行われるなど1年に渡るという。
[ 13:45:02 - 13:55:33 ] 631秒 詳細
そして、十二代目團十郎を襲名するまで3日となる中、顔寄せが行われ襲名を認められた。顔寄せは本来内々の儀式だが、團十郎襲名のために客を入れていて、これは異例の対応となっている。歌舞伎は演出家がおらず、体で覚えてきたことをぶつけ合い手直ししていくのが特徴となっていることから、芸の年輪が代えがたい財産となっている。そして、迎えた昭和60年4月1日。歌舞伎座のある東京は快晴となった。十二代目 市川團十郎の舞台が開場となるとそれぞれに祝福され、團十郎は助六の化粧をつけていく。そして、助六由縁江戸桜が始まった。花道を進むとにらみを決め、開場からは拍手が沸き起こった。
スタジオトーク [topic=15425918] 詳細
[ 13:55:33 - 14:01:55 ] 382秒 詳細
市川團十郎白猿は父團十郎は11代である祖父を10代で亡くしており、歌舞伎の中で父親が居ないことがどれだけ大変なことかを語っていて、自身が小学生時代父を亡くす夢を度々見ていて怖かった等と話す。市川新之助は外郎売の早口よりも踊りや細かい事の方が難しかった等と話す。親子は自宅のリビングや稽古場でも稽古をしており、楽しめるようノビノビと指導にあたっているという。
市川團十郎の歴史 [topic=15425919] 詳細
[ 14:01:55 - 14:03:32 ] 97秒 詳細
市川團十郎家は江戸時代に人気役者となった初代團十郎に始まり、團十郎家を代表する演目の暫も初代が初演したと言われており、力強い動きで闘う演技に江戸の人は熱狂した。隈取りや花道の演出を創意工夫したのも第々の市川團十郎で、7代目團十郎は演目の中から18を選び歌舞伎十八番を制定した名優であった。
「毛抜」粂寺弾正の魅力 / 「助六由縁江戸桜」いま父から子へ [topic=15425920] 詳細
[ 14:03:32 - 14:08:39 ] 307秒 詳細
歌舞伎十八番の中で市川新之助は最後の5つの見栄が好きで毛抜の粂寺弾正を演じたいと話す。市川團十郎白猿は彼の祖父である十二代目は外郎売と毛抜を得意にしていた演目を選ぶのは感慨を感じる等と話す。市川新之助は当時16歳の市川團十郎が演じた助六の福山かつぎについて一つ一つかっこよかった等と話す。
日本の伝統芸能 市川團十郎の歌舞伎入門 [topic=15425921] 詳細
[ 14:08:39 - 14:11:07 ] 148秒 詳細
十二代目市川團十郎は「團十郎はこうでなくちゃいけないとかこうあるべきだと自分を縛ってしまうのは決していいことではない。團十郎という名前に責任はあるがそれほど自分を縛りつける必要はない。できることをやればいい、できないならしょうがないという心境になって楽になった。せがれも歌舞伎というものに対して取り組んでいる姿勢がある。それは嬉しいことだと思うが一生懸命すぎる。過ぎたるは及ばざるが如しでふっと息抜きすることを考えて周りを見ることを心がけて取り組んでくれれば。歌舞伎は1つの表現。自分というものがありその道具として歌舞伎というものがあるということで頑張ってもらいたい」などと話した。
スタジオトーク [topic=15425922] 詳細
[ 14:11:07 - 14:14:30 ] 203秒 詳細
父十二代目市川團十郎のVTRを見た市川團十郎は「身にしみる。生前最後に話した言葉とちょっとつながっていて。できないことはできない、今やるべきことをしっかりやっていくというようなことを言っていたので同じことを言っていたんだなと感じた。團十郎はこうあるべきだはちょっと考えていたが今日を以てやめる」などと話した。またこれからについて「時代が大きく変わった。デジタル社会のなかで歌舞伎がどうあり続けるかを考えなければならない。生で見る喜びの時代が必ずまた戻ってくると思っているのでその時のために準備をしなくちゃいけない。成田屋としての仕事を自分としてやっていく」などと話した。襲名披露公演について市川新之助は「やっとできるなというのとお客様が待ちに待ってくださって嬉しいなと思っている」などと話した。