番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20221103 > エピソード: 1189400
エピソード情報
放送局 | NHK総合大阪 |
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プログラム名 | インタビュー ここから |
エピソード名 | 「スキージャンプ選手 葛西紀明」 |
カテゴリ | 一般実用 |
放送時間 | 2022-11-03 07:30:00 〜 2022-11-03 07:55:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2022-11-03 11:55:40 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=10058057]
オープニング
[topic=15424650]
詳細
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07:30:00
-
07:31:52
]
112秒
詳細
きょうの主人公は、スキージャンプ選手の葛西紀明さんワールドカップ最年長優勝、最年長表彰台。今年50歳を迎え、今も現役の選手として頂点を目指している。
きょうの主人公は、スキージャンプ選手の葛西紀明さんワールドカップ最年長優勝、最年長表彰台。今年50歳を迎え、今も現役の選手として頂点を目指している。
(インタビュー ここから)
[corner=10058058]
世界を目指した原点 大倉山
[topic=15424651]
詳細
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07:31:52
-
07:36:31
]
279秒
詳細
北海道・札幌市の大倉山ジャンプ競技場を葛西選手に案内してもらった。毎年国際大会も開かれる葛西選手の練習拠点。葛西選手が初めて大倉山を飛んだのは15歳。テストジャンパーながら優勝選手を超えるジャンプだった。そのジャンプがあったからこそ世界を目指そうと思ったという。長く続けることができた原動力は母親。貧乏な生活からジャンプを応援してくれて、母親の愛情の強さを大人になって年を重ねるごとに感じている。
北海道・札幌市の大倉山ジャンプ競技場を葛西選手に案内してもらった。毎年国際大会も開かれる葛西選手の練習拠点。葛西選手が初めて大倉山を飛んだのは15歳。テストジャンパーながら優勝選手を超えるジャンプだった。そのジャンプがあったからこそ世界を目指そうと思ったという。長く続けることができた原動力は母親。貧乏な生活からジャンプを応援してくれて、母親の愛情の強さを大人になって年を重ねるごとに感じている。
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07:36:31
-
07:43:45
]
434秒
詳細
葛西選手が姉と妹の3人兄弟だった。母・幸子さんは体が弱い父に代わり家計を支えた。小学3年生でジャンプを始めたいと話したときには反対された。先輩たちからお下がりの道具をもらうなど支援を受けながら競技を続けてきた。金メダルをとって家族や周りの人を喜ばせたいという気持ちが芽生えた。10代で日本代表に選ばれ、19歳でオリンピックに初出場。2大会連続の出場となったリレハンメルオリンピックでは団体メンバーの1人として銀メダル獲得にも貢献した。しかし、次の長野五輪を前に母・幸子さんが火事に巻き込まれ重い火傷を負い、闘病の末息を引き取った。迎えた長野五輪では、大会直前に足首を怪我した影響もあり団体メンバーから外れた。自分が出られない団体戦を素直に応援できず、日本が金メダルをとる姿を見て、悔しさを通り越して泣いていた。その後も苦難が続き、スキー部に廃部にともなって4年で2度の移籍となった。ソルトレイクシティー五輪でも団体メンバーに選ばれなかった。どん底の中で葛西選手が拠り所にしていたのは、幸子さんが遺した手紙だった。
葛西選手が姉と妹の3人兄弟だった。母・幸子さんは体が弱い父に代わり家計を支えた。小学3年生でジャンプを始めたいと話したときには反対された。先輩たちからお下がりの道具をもらうなど支援を受けながら競技を続けてきた。金メダルをとって家族や周りの人を喜ばせたいという気持ちが芽生えた。10代で日本代表に選ばれ、19歳でオリンピックに初出場。2大会連続の出場となったリレハンメルオリンピックでは団体メンバーの1人として銀メダル獲得にも貢献した。しかし、次の長野五輪を前に母・幸子さんが火事に巻き込まれ重い火傷を負い、闘病の末息を引き取った。迎えた長野五輪では、大会直前に足首を怪我した影響もあり団体メンバーから外れた。自分が出られない団体戦を素直に応援できず、日本が金メダルをとる姿を見て、悔しさを通り越して泣いていた。その後も苦難が続き、スキー部に廃部にともなって4年で2度の移籍となった。ソルトレイクシティー五輪でも団体メンバーに選ばれなかった。どん底の中で葛西選手が拠り所にしていたのは、幸子さんが遺した手紙だった。
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07:43:45
-
07:50:23
]
398秒
詳細
その後、葛西選手はフィンランドのコーチに指導を仰いだ。当時、1企業のチームが海外からコーチを招くのは異例のことで、この出会いが転機となった。印象に残っている指摘は、練習しすぎということ。数年ごとに新たなコーチを招き、常に新しい技術や指導方法を取り入れることで、年齢を重ねても成長し続けられたという。41歳で挑んだ2014年のソチ五輪では、個人で銀、団体で銅を獲得し、史上最年長メダリストとなり世界から称賛を受けた。今年8月、大倉山の競技場に50歳になった葛西選手の姿があった。サマージャンプの大会に臨み、K点越え5位に入賞した。葛西選手は「はい上がった先の金メダルという自分の大きな夢をつかみたい」などと語った。葛西選手は長野・白馬村で毎年合宿をしている。
その後、葛西選手はフィンランドのコーチに指導を仰いだ。当時、1企業のチームが海外からコーチを招くのは異例のことで、この出会いが転機となった。印象に残っている指摘は、練習しすぎということ。数年ごとに新たなコーチを招き、常に新しい技術や指導方法を取り入れることで、年齢を重ねても成長し続けられたという。41歳で挑んだ2014年のソチ五輪では、個人で銀、団体で銅を獲得し、史上最年長メダリストとなり世界から称賛を受けた。今年8月、大倉山の競技場に50歳になった葛西選手の姿があった。サマージャンプの大会に臨み、K点越え5位に入賞した。葛西選手は「はい上がった先の金メダルという自分の大きな夢をつかみたい」などと語った。葛西選手は長野・白馬村で毎年合宿をしている。